海野秀之(うんのひでゆき)の外部記憶
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デバイスドライバなんて書いたことも、書こうと思ったことも ありません。
が、まあ怖がるほどのモンでもないでしょう(強気)。 所詮自分のPC上で動かすんだし。 PCなんて暴走させてなんぼです。うそです。
Its a really really really really really good idea to back up everything you care about, >> BEFORE << starting development on kernel modules.
ああぁ、やっぱり?(目をそむけていた事実)
"Writing Device Driver Book ..." とか、「おっ」と
思って見に行くとエラー orz. (←ちゃんと見えますね。)
"Solaris OS on x86 Platforms -- Device Driver Writer's Orientation" は見えた。 パワーポイントのプレゼン資料って感じですが。
「LINUXデバイスドライバ 第2版」 のサンプルコード。
Linux 向けに書かれた本を片手に Solaris 用の コードを書くとは*1 ……時代は変わりました(じじい)。 まあ、自分のノートPCに Solaris x86 をインストールして 使っているっていう時点ですでに昔とは大違いですが。
そういや昔聞いたような。 そっか、そっかぁ。
*1 未だ書いてないけど。
http://homepage3.nifty.com/mogami/diary/d0608.html#02t1
33歳時点の私の答えを:
趣味のお稽古ごととして習うなら後者(教えるのがうまい方)、 そうじゃなくて、なにか一生の仕事にしたいような事柄 *1 について 学びたいなら前者の近くにいたい。別に、親切に教えてくれなくてもいい。
*1 ところが今それを見失っている最中。
「読んでもあまり意味がわからないこと」を目標に最適化された文章 *1 にも、 それを発行する主体(部署)にも興味なんかもてないよ。
*1 東大出身者って、こういうの書くの得意だよね(偏見)。
しばらく、邪悪な発言を控えるよう努力します。
「こんなチーム(部署)のために、一文字だって書きたくない」
先日のエントリ を書ける時点で、自分の心境はかなりオワっているなぁと 思っていました。 でも、上のような発言を迷いなくできるかなぁという点については 確信がなかった。
このような発言を正当化はできない。これは当然。
だが、自分自身の気持ちだけを考えたとしても、 そこまではっきりと言い切れるか?
本当に、「今度こそちょっとでもいいものをつくろう」という誘いに 魅力を感じずにすむか?
「昔の私を知る人なら、『やっぱりあいつは中途半端で投げ出すやつだな』 というだろうなぁ」という思いに対して、「なにくそ!」と思わないで 済むか?
でもね、今日新たに知った事実は、想像すらしなかったほど酷かった。 酷すぎて、もう、悲劇なのか喜劇なのかすらよくわからない。
ただ、決して許せない。
が、迷う必要がなくなったこと、少し残っていた罪悪感をすっきり 洗い流してくれたことについては感謝してもいいかも知れないですね。
(Keyword: 老人)
わくわく予定。
映画は、東銀座にしようかな。渋谷にいく体力(若さ)がない (じじい)。
事前情報は、
とか、
ふふふ。
晴れ!ありがたい!!
まずは布団を干す。
寝汗をよくかく体質なうえに梅雨で、すっかりしっとりなめらかに なってしまった布団よ、復活してくれたまえ。
そして洗車。いつもあんまり乗らない上に埃まみれにしてごめんよぉ。
つぎは、スーパーに行って ズックリン(靴あらい洗剤) と靴用ブラシを買い、 靴洗いだ。洗うのはスニーカーじゃないんだけど、まあいいだろ。
今年の夏は、もう、裸足Onサンダルで過ごし切ろうと思っているのだが、 その間に靴もリフレッシュしておきたい。(足蒸れ体質;蒸れてばっかり)
久しぶりに靴をあらっていると、小学生の頃を思い出した。
たぶん、小学校3、4年生のころ。放課後、友達が遊びに誘いにきてくれたんだが、 そこで母親は「うわぐつ洗ってからいけ」と。
実家はマンションなんだが、うわぐつとズックリン とブラシとホースをもって、 マンションのゴミ捨て場近くの水道のとこまでいって、ホースつないで、しゃがんで、 くつをごしごし。
友達も仕方がないから見守っていてくれた。
「おまえ、ようこんなんさせられてグレへんなぁ」
「うーん……」
いやしかし、小学生の言うことはおもろいなぁ。
後に母親は(特にこの件について話していたわけではないが)、 「あんたは最初の子で、しかも長男やと思て厳しくしすぎたわ」と言ってた。
別にこんなこと言ってもらわなくても恨んでませんけどね。
これは、自分にも子供が出来てから気づくことなんですが、 子供を叱って泣かせてしまったときには、親だって悲しい気持ち。
「ここは叱らなくてはならない!」と決意して叱った場合でも (そうじゃなくて感情的に叱ってしまう場合がほとんどですが)、 子供が泣き出したのを見た瞬間にやはり後悔する。 (あんなに楽しそうにしてたのに、泣くときは本当に悲しそうに泣く)
こんなに厳しく叱る必要はなかったのではないか、とか、 そもそも今回は叱らなくてもよかったのではないか、とか。 だいたい、そんな理屈に関係なく、悲しんでいるわが子を見るのはつらい。
誰なんだ、この子を泣かした奴は!ああ、俺か。
しかし、親孝行してないなぁ。
ふひー、無用心にどっぷり感情移入しつつ見てしまった……。
僕は、上で紹介したリンク先の映画紹介のおかげで この映画に興味をもって見に行ったのだから、 これらを書いたお二人には感謝しなければなりますまい。
一度は見ないと損な作品だと思う。
思う思う。個人的な感情を色々と刺激される映画でした。
これから兄弟をそだてる親になる身なので、 その点で思うところも色々とあった。
あと、悪意ばかりが人を傷つけるわけではないんだなとか。
それと、たしかに中谷美紀がむちゃくちゃすごかった。
銀座シネパトスは結構面白い場所にありますね。 小ささもよかった。
# うかい [せっかく午後過ぎに行ったのに電話かかってきてつかまったorz]
http://www.planetary.or.jp/magazine/YMC060802.txt
これを書いた人のはらわたがどれほど煮えくりかえっているか を想像すると、 私ごときがしょうもないコメントをつけてはいけないような 気がしてしまう。
なので、印象的だった部分を抜き出すだけにしておこう。
……が望まれるという判断があったのだそうです。 もっと複雑な背景があるだろうということは察しがつきますが、 それはここでは触れてはならないこと。
万国から「世界一」と評判をとっているM-Vロケットを捨てて、 その代替ないしそれ以上の役割を期待されるはずの ロケットがまだ無いというのは、 宇宙開発史上にない「英断」というべきでしょう。
本来需要とは客観的なものであって、 供給する本人が必死で需要を創り出すというのは漫画ですからね。
あ、やっぱり白状しておこうかな。
もちろん、某 IA64 サーバを連想しましたよ。
叱られそうなので(自意識過剰)わけた。
しかし、技術者集団であるべきところにポリティッシャンが 紛れ込むと必ずボロボロにされてしまいますね。
彼らは自分たちの言うことに最低限の一貫性を持たせる 努力すら行わないので、 技術者 vs ポリティッシャンの戦いは必ず後者が勝つ。 しかも、はじめは自分がポリティッシャンであることを 隠しているので、対処が遅れてしまうことも多いと想像される。
ポリティッシャンのやることは、およそ常に間違っていて、 長い年月をかけて培われてきた「何か」があった場所を 焼け野原に変えるだけなのだが、 彼らはその失敗が誰の目にも明らかになったころには、 既に次の獲物にフォーカスして居場所を変えているため 痛くも痒くもないようだ。
技術を育てるにはどうしても時間がかかってしまうのに比べると、 彼らに必要なのは見た目が美しいパワーポイント資料をつくること だけなので、非常に身軽である。
この状況を防ぐためには、 ポリッティカルな行為が、ただちにそれを行った本人の 不利益になるような仕組みが必要なのではないかと思う。
彼らを罰することがはたして可能なのだろうか?
今日は昼から少し練習してその後レッスンへ。
バイオリンの練習は、慣れない身には結構重労働で、 途中でくたびれてしまって床につっ伏して寝てしまった。 数十分寝て練習再開。
レッスンの最初、「440 で合わせてこられたのね」と言われた。
そう、先週の日曜日にすでに チューナー は入手していたのよ、 おほほ。自由が丘の山野楽器で 3190 円でした。 ちなみに自由が丘にはこれを買うためだけに行き、その後 まったく寄り道せずにそのまま出社した。
当然 A は 440Hz だと思っていた(買ってきた状態では デフォルトでそうなっている)のだが、442Hz が標準なのだ そうだ。えー!!知らんかった。
大昔は 440Hz (つい 440MHz と言ってしまいそうになる)だった とも言われたが、大昔っていつ?とは聞けなかった。 まじかよ。
一応スケール練習をしていったので、 課題をだされていたところはサクサク進む。
弾いている本人が不満なくらいへたくそなんだが、 なぜかサクサク進むんですよね。 最初は細かいことを気にするより、ひととおり経験せよと いうことかな。
もしかすると、不満なところは素人が聞いても明らかなのだから、 自分でみっちり練習しとけということなのかもしれない。 こっちのほうがあり得るな。
練習していったつもりのところも、伴奏をつけてもらって 弾こうとすると、自分のスピードじゃないもんだから、 あたふたして、ちっとも音がだせなくなってしまう。
これは、メトロノームを使って練習したほうがよさそう。 チューナーにはメトロノーム機能もついているしね。
今日は、二弦同時に鳴らして和音を弾くメニューもあったのだが、 先生の出す音きれーーい!それに引き換え、僕の出す音の 汚いこと。
二弦鳴らすのは僕にとっては結構難しくて、 二つの弦を取り逃がすまいとして、ぎゅーーっと強く押さえつける ようにしてしまっていたみたい。 (おかげで弓の毛が数本切れたよ。)
先生の弾き方を見ると、まったく違う。 すーっと弓がまっすぐ移動して、美しい音色。 はあぁ、きれーーい。
そうか、二弦すーっと鳴らすには、 弓の動きが安定して直線上に乗っている必要があるので、 二弦鳴らす練習は弓の動きを確認するのにもってこいなのですね。
昔「少年ジャンプ」でやってたゴルフ漫画で、パターで 二個のボールを同時にうって、その二個が両方まっすぐ ころがるようにって練習をやってたのを思い出した。
直線運動は人間にとってむずかしいのだ。
あと、「そ…ら…し…」と数えないと譜面が読めないので、 見ていかなかったページをいきなり弾かされるとぜんぜん弾けない。
これに対する対処ははっきりしていて、 やると決まっている箇所、やりそうなところ(少し先のところ)を きちんとあらかじめ読んで覚えていく必要があるのだ。
僕は音楽のことはよくわからないけど、 初学者の学習方法としては、これであっているんだと思う。
初見で読めるようになりたいからといって、予習・復習によらず ぱっと見てわかる状態をいきなり目指すなんていうのは、 きっと馬鹿げている。
高校生の頃なんかは、僕はこの辺を根本的に勘違いしていて、 受験(音楽とは関係なくて、普通の大学受験の話) では初見の問題を解かなければならないので、 同じ問題を何度も解いたりするのは有害なんじゃないかと 思い込んでいた。
いやー、あほでしたね。
いまは大人なので、ちゃんと予習・復習していこと思います。
でも、「里帰り出産」のため帰省している妻と子供たちが 戻ってきたら、今のようには時間をつくれないなぁ。
昼休み練習するか?(半分本気)
あ、そうそう、忘れないように課題となっているところを メモっとかなくちゃ。
そうだ、肩当てがあっていないとも言われた。 肩のほうはいいんだけど、体の前面に近いほうに隙間ができていて、 バイオリンが安定していない。要調整。
http://www.so-net.ne.jp/SF-Online/no20_19981026/special1-2.html
こういうのは、自分が言われていると思って読まなくてはならないんだと 思う。一緒になって罵倒しているつもりになってはいけない (やりがちな間違いですが)。
ちなみに、牧野さんところ 経由。 ここ には、すごく面白いんだけど笑えない *1 高橋メソッドの実例もある。
面白いんだけど笑えない繋がりでちょっと追記。
つまり、安いパソコンを沢山買ってきて並べるのではできない、 あるいはできないことになっている、 あるいはできるかもしれないけどまだ誰もやっていない、 といったところのもの、 あるいは計算機を買う人と使う人が全く別で、 使う人はお金のことをあまり考えなくていいところになっています。
こういう、筆者が話しているところが目に浮かぶような文章が とても好き。できればニコニコ微笑みながら読みたいのだが、 悲しくて笑えない。
まさに、「……できないことになっている」式の欺瞞が ○○○をダメな集団にしてしまっていると思うから。
リンク先をあらためて読んでみた。
わたし、新人賞の突破のしかたの本ていうのを さんざん書いてきたけどさ、 「心構えはもうわかりましたから、 はなまるをもらえる答を教えてください。 それ覚えて、身につけますから。 そしたら、デビューできるんでしょ?」 みたいなお手紙もらったことあるよ。 そういう人にでも、本売れれば、 印税は入る(笑)。 そういう意味ではありがたいお客さんなんですけど。
白状すると、「答えを教えてください」に近い考えを もったことあります。だって、文章書くのって難しいんだもの。 ぜんぜん文章(小説じゃなくて、技術的文章です) が書けなくて、いろいろ本を読み漁ってみても わかんなくて、「要するにどう書けばいいんだぁ! 教えてくれ!」と。
結局、こう書けばうまく書けますみたいのを探すのはあきらめて、 「技術的文書というのは、書いた人がいかにわかっていないかが 一目瞭然となるように書けばよいのだ」みたいに開き直ったのを 覚えている。
業務で書く技術文書というのは、いわゆる「仕様書」というやつ なんですが、検討中の仕様に誤りがある場合には出来るだけ 速やかに直さなければならない。 だから、読む人が読めばすぐに間違っていることがわかるように 書こうと。
それまでは、どちらかというと正しく書こうとして 筆がとまりっぱなしになっていたのですが、 間違いがあればそれが可能なかぎりあからさまになるように 書こうと開き直ることで、ちょっと書けるような気になった ように思います(錯覚)。
そりゃそうと、この日記では
すげぇ脆弱な自意識。 悪いけど、こういう人はほんとうに気持ち悪い。怖い。
という恐ろしげな台詞を引用してしまいましたが、 間違えてました。引用するならここでした↓
エッチと同じなの。とりあえず「乳もみゃいい」式。
揉み方にもいろいろあるだろうに、 毎度おんなじマニュアルじこみの方法で 「1、2、3、ほら揉んだ」。 それでこっちに何を感じろっていうのよ? なのに「俺は、ちゃんと前技に手をぬいていない」 とか威張るんだよねぇ。ぜんぜんわかってない。
要は自分が気持ちよくなりたいだけなんだってのが、 あまりにもミエミエなのね。
みなさん、これ読んでよく反省するように。 ぼくはとりあえず「乳もませろ」式でいくことにします。
*1 残念ながら笑う資格がない。
まだ入手していないので、ツン読ですらないんですが。
↓の議論が楽しそうだったので(かなり以前に行われたものですが)。
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/b0026.html#b20000627181223
「まきの」さんは牧野さんなんだろうか。 (どっちみち面識ないんですが)
(上の掲示ではリンク切れしている山形さんの書評は: http://cruel.org/sight/sight04.html )
いつのまにか、tDiary.Net のアンテナに捕捉されていた。 おそるべし。
「自分だけは大丈夫」,セキュリティ対策を妨げる「正常化の偏見」(Matz にっき)
孫引きですが、
講演では具体例の一つとして,交通事故と宝くじのそれぞれに 対して抱く,期待(不安)の違いが挙げられた。 交通事故に遭って死亡する確率は,宝くじの1 等に当選するより高い。 にもかかわらず,会社からの帰りに車にはねられると考えている人は ほとんどいない。一方で,宝くじには当選を期待して, 多くの人々が人気の売り場に行列を作る。
宝くじのCMを毎日いやっちゅうほど見せられるのにくらべると、 交通事故の宣伝はほとんど全く無いんですが。
宝くじ対交通事故に関していえば、 「自分にとって都合の悪い情報を無視したり, 過小評価してしまう人の特性」よりも、 都合の悪い情報が隠されてしまうことの効果の方が 支配的なのではないか?
まさに、 うう、かえって『ゲド戦記』を観たくなってきたじゃないですか。
交通事故に遭って死亡する「確率」って何やろ? *1 と疑問に思う気持ちは、ちょっと大事なんじゃないかと思う。
いや、何が言いたいのかは自分でもよくわからない。
*1 まあ、どうやって算出されているのかは想像つくのですが、それでもなお残る違和感というか……ごにょごにょ
http://mentai.2ch.net/book/kako/963/963421916.html (← 2ch です。google cache は こちら )
おもしろい。
おもわず自分もやってみたくなりますね。
小林泰三さんでやってた人がありましたが、 小林さんならもっと冷徹に、分析的に描くのではないかと思った。
某企業のセミナーで日大生が質問。 「御社は一部上場企業ですが、いつ頃全部上場するのですか?」
思わず声だしてわろた。
アメリカンジョークってことは、もとは英語なの?うそぉ。
仕事にまつたく魅力を感じていない状態が、 これほどつらいものだとは知らなかった。 何もしていないのに、みるみる体力を消耗していく…。 早く帰りてぇ。
逃げるように帰って、バイオリンの練習。 もう夕方なので長い時間はできないんだけど、 楽器に触っておくだけでもと思い。
で、チューナをにらみながらのスケール練習。
いまの僕の心境は、自分でも嫌になるほど醜いものなのだが、 楽器を鳴らしているときだけは、 すっきりした気分を取り戻すことができる。
バイオリンって、 ただ音を鳴らすためにも必要な作業がたくさんあるので、雑念にとらわれている余裕がないというか (そもそも初心者だし)。
それに、バイオリンのように、 木の箱を鳴らす楽器の響きは、やはり美しいですね。
粗密波が雑念を押し流してくれる……なんて。
その後、例のごとくうたた寝してしまった。 バイオリンの練習後には必ず寝てますな。 練習の経験を定着させるのに役立っていたりするんでしょうか。
起きて、風呂にはいる。 しかし、これだけでまた寝て今日が終わってしまうのは、 勿体無い気がする。
暇ができたらやりたいと思っていた、 確率の勉強を少しでもやろう。
もう11時前なんだが、とにかく、本を開こう。
「救出は近い」で検索してやってくんのやめてください。 まじ驚いた。
本当にそんなこと書いてないよぉと思ったら、 アンテナのダイジェスト部分に 不本意なランク(ただのにっき) の文章が一部見えていたみたい。
うちは、不本意どころか、身に覚えがありませんから。
年次休暇をとった。図書館へ行こう。
僕にとっては、大阪中ノ島の図書館がベストだった。 ただしい使用方法かどうかわからないけど(たぶん違う)、 一日何時間も入り浸ることができる図書館。 相当古い建物だったけど、もう改修されたのかなぁ。
(冬の閲覧室には、寒さをしのぐホームレスのような感じの ひと(寝ている)もいたが、それを黙認するのも図書館って 感じでした。近くに座ると体臭がひどいので避けてましたが)
今日はとりあえず、神奈川県立図書館にいってみよう。
閲覧室が大きくて、机と椅子がならんでいて、 その気になれば一日中いられる図書館が望みなのですが…。
「館内のご案内」 によれば、食堂もついているようなので、期待大。
行ってくると書いてから二度寝してしまったので、 なんと夕方の4時まえに到着。 ここで「行く」と予告してから行ったので、 刺客に待ち伏せとかされてたらどうしようかとも思ったが、 杞憂でした。あたりまえですね。
さて、県立図書館は僕が望んでいた通りの施設でした。 西洋かぶれ丸出しで美しかった 中ノ島図書館 とはくらべられませんが、 「新館」とは名ばかりの古い建物がいい味をだしています。 となりが「音楽堂」だったりするのもポイントが高い。 何や音楽堂て。
かばんを持ってはいることができないので、かばん持参の人は ロッカーの鍵を借りて、ロッカーにかばんをあずけて入館します。 かばんさえ持ち込まなければいいので、僕はノートと筆記用具と 「ルベーグ積分入門」(教科書)をもってはいった。
本当は「自習目的の方はB1Fの自習室をご利用ください」なので、 他の人の迷惑になるようなら地階に移動すべし。
このへんのムードも中ノ島図書館と同じだ。 西洋かぶれ丸出しの螺旋階段とかがないのがさびしいですが(しつこい)。
……書いてたら本当に懐かしくなってきたよ。
結局、3時間弱お勉強して帰る。 今回は(寝すぎたせいで)行くのが遅かったので、館内をうろうろせず、 蔵書には目もくれず…。
帰りは、みなとみらい周辺を散歩がてら横浜駅まであるいて、 そごうに立ち寄ってから、横浜駅から電車に乗ってかえりました。
おお、まるで日記ですね。日記ですが。
ながらく、本を買って積んでおくだけになっていたのですが、 これ(どれ?)を機に趣味のお勉強を本格的に開始しようと思います。
いま立てているプランは、
です。
最初は「確率論」の方を入手して読み始めていたんですが、 ルベーグ測度をすっとばして確率論だけ会得できるなんてうそだぁ!という 気分になってしまったため、「ルベーグ積分入門」の最初のところだけでも 先にやることに決めた。
決めたんです。それが「正解」なのかどうか知りませんけど。
で、
Ⅱ 測度 §4. 有限加法的測度 ←いまココ! §5. 外測度 §6. 測度 §7. Lebesgue 測度の性質 §8. 測度空間の完備化, 非可測集合の存在 §9. 拡張定理, 直積測度
お勉強ノートを作成しながらのお勉強ですが、 当然最初は紙のノートを使用。
その後、理解を確認する目的で電子メディア上に再構成しようかなと 思っていますが…、だいぶ先の話になりそうです。
http://d.hatena.ne.jp/MrJohnny/20060818
この答えは、なんつうか、いかにも朝日新聞です。 どんな素材から出発しても最後には自分が言いたかった内容にもっていく 力技。これはこれでホレボレいたしますが、 しかしなんだか腑に落ちないところです。
ひひひひ。うまいことおっしゃいます。
しかし、これからも多くの子供たちが、 こういう(朝日新聞みたいな)のを読んで 文章の書きかたを「学ぶ」だろうと思うと、笑えない話ですね。
自動車保険の更新も
空き時間に立ち寄った書店で、めずらしく新書を買った。 「感動をつくれますか?」 という本だ。 「ものづくり」というキーワードにひかれて手に取ってしまったような気もする。
作曲家という、僕のように作曲など出来ない人間にとっては魔法使いのような 人種のひとが、わりと普通のおっさんが好みそうなことをいっぱい書いている。 こういうと、褒めてないようにしかみえませんが、結構おもしろい。
ただなぁ、なんというかなぁ、いかにも「新書」だなぁ。
こういう本、といっても、どう分類されるべきなのかよくわからないのだが、 技術書でも教科書でも小説でもないような本を選ぶときの人の心理は、 けっこう美しくないような気がしている。
ぼくが、この本を手にとったのは、日ごろ自分自身が抱いている不満を うまく代弁してくれていると感じたからだと思う。 「おやじ症候群」の末期症状であることよ。
あ、この本をよんで、(いままでまったく興味がなかった) 「ハウルの動く城」を観てみたくなりました。
もしかして、これがこの本の出版目的だったりして。
グレッグ・イーガンの 「順列都市」 を未だ読んでいなくて、 ネタバレがいやなひとは、ここから先は読まないでください。
http://d.hatena.ne.jp/nuc/20060822/p1
ところで、例えば、コンピュータシミュレーション のなかに知的な生物がいるとして、 これの計算速度を徐々に下げていく。 中の生物はそれが下がったところで気がつかない。 では0にしたら? もちろん気がつかない。永久的にそうしたら?
が、ここで s/he が「突如、死のようなもの」 にあうとは思えない。 単純な「時間発展」といった綺麗な構造は この宇宙のどこか外に「存在」していて s/he は その上を「時間発展」し続けるのではないだろうか。
シミュレートしていたものは、あくまでもその影で。
これはまさに「順列都市」の基本アイデアと同じものですね。
独立に同じことを思いつくなんて、すごいなぁ。 僕が「順列都市」を読んだときは、 やたら埃が強調されるのが気になって、 最初はピンとこなかったんですが。
イーガンは、他にも、死をテーマにしつづけていますよね。 精神と肉体が分離可能なものだとして、 精神にとっての「死」っていったいどんなものだろうかと。
ディアスポラ、ボーダー・ガード等を読むと、 早く肉体を捨てて自由になりたい!とか思うのですが、 同じ彼の作品でもアレとかアレとか (ネタバレになりそうなので伏せる。SF作品について書くのは 難しいですね) を読むと、「スイッチ」する瞬間が世にも恐ろしく感じられます。
あ、そうそう。「順列都市」には、富士通の名が登場しますよ。 一応良い意味で。
申し訳ないけれど、物理は特権的に面白いのですよ。
これは、田崎さんの 2003年3月30日の雑感 にあった台詞。 この台詞をふくめ、とても魅力的な文章だと思う。
ブックマークしていた、 「ベイズ統計と統計物理」の書評 から芋づる式にいくつか読み直してしまった。 (これとかも)
こんな調子で昔の記事をかたっぱしから読み返していたら、 何回も日が暮れてしまうな。
ともかく、「ベイズ統計と統計物理」は忘れないように、あとで買うべし。
大西科学の大西さんが小説を出されたらしい。
今日 談話室 を眺めていて気づいた。 最近は RSS しかチェックしていなかったので、見逃していたんだ!
これは、うちに帰ったらさっそく amazon かな。 二冊たまったので、昨日書いたあれもあわせて注文だだっ! (別に二冊たまったら買うオレルールが存在するわけではない)
やめておこうと言っていた はずなのに、前からずんずん読んでいって、 ご先祖様がいつ最初に出現するのか探しはじめてしまう。
結局は、ちゃんと探さずに、 これとか、 これとか 読んで、声をだしてわらってしまったりしていただけに終わった。 あと、ニュートラルに行ってみたい。
ところで、ボブ・マーリーが "No woman, no cry" (「のー。うぉーまんの、くらい」と読む) と 歌っていた気がするのだが、 ライナーに書かれていた訳詩は確か 「泣くなおんな、泣くな」となっていて (追記:ただしくは「女 泣くな」でした)、 そんでもって、別のどこかで「あの訳はありえないよね」 と書かれていたのを10年くらい前に読んだような気がする。
「あの訳はありえないよね」とだけ書かれていて、 正しくはどういう意味なのかはわからないまま 記憶の底に封印されていたのだが、 さっきそれを唐突に思い出した。 (どこかの頭音がボブ・マーリーだったので連想したのかも)
ひょっとして、No music, no life とかのあれですか?
あのCDは押入れのどこかにあるのだろうか??
…少しお待ちください…
で、押入れを見に行った。 いきなりデューク更家のDVDに出迎えられたりして あきらめそうになるが、 そのCD はあっさり見つかった。
前後の歌詞を読んでみたんですが、やっぱり 女性に対して「泣かないで」と言っているみたい。 「あの訳はありえないよね」というのは、意味が根本的に間違えているという主張ではなかったのか。
期待して損した。
とりあえず、引っ張り出してきたついでに、 iPod に放り込んでおく。
ちなみに、「Noなんとか」の「なんとか」は単数である 必要があるんじゃないかという気がしてならないんですが、 ちゃいますか? っていうか、しつこいですね。(←意味不明)
以前から気になっていたので、辞書をひいた。 (なんとなく基本的すぎて恥ずかしいのですが)
No music, no life 的慣用表現の場合にどうかまでは わからなかったのですが、一般に "No" という単語の次には 可算名詞の単数、複数、または、非可算名詞のいずれも おけるみたい。
辞書 (OALD) にあった例文は:
No words can express my grief.
No student is to leave the room.
There was no bread left in the supermarket.
No two people think exactly alike.
でした。
ひょっとしたら「中学英語」レベルのお話なんだろうか、これは。
よていどおり、amazon で2冊注文。 10年ぶりにボブ・マーリィの Live! を聞きながら。
1 "岩波講座物理の世界 物理と情報 (3) ベイズ統計と統計物理" 伊庭 幸人; 単行本; ¥ 1,470 1 "ジョン平とぼくと" 大西科学; 文庫; ¥ 620
ふふふふ、ふ、風呂はいってねよ。
Before...
# ダーナ・オシー [「新たに知った事実」のほうを「もう少し楽しむ」んダーナ]
# うんの [お気をつけあそばせ。悪意は自他ともども気づけるおそれがありますので。 私はそれが嫌なので、かつ、だからといって良心..]
# うんの [s/気づける/傷つける/g;]