海野秀之(うんのひでゆき)の外部記憶
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http://jp.youtube.com/watch?v=LbE-fSH9E-4 (Playnote 経由)
サブタイトルは、「若い頃の小錦と布施明」です*1。 どうぞー。
*1 似てないかな?
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080401/1207012655
ひとくちで感想はかけない。なので、思いついたことを、ただ並べてみる。
学生の頃の僕は、名実ともに(?)飽き性で、ひとつのことを貫徹できない人間だった。
大学をでる年くらいに、この「ケツを割らない」という掟を自分に課すことにしたんだと思う。 当然ながら、うまくいった。就職して、新人のころも、その後数年も、まあ、 程度の程はいろいろあったかと思うが、「ギブアップしない」という俺掟は、 おおむねいつも自分を助けてきたように思う。
しかし、単なるヒロイズムでしかなかったんだけど。 単なるヒロイズムが必ずしもダメなわけじゃなくて。 その辺は、 「時間と体力があり余ってる状況において、精神論は圧倒的に正しい」が、うまいこと言っていると思う (リンクは、最上さんの日記へ)。
掟というのは、問答無用であってこそ、威力を持つことができるのだと思う。 「ケースバイケースだよね」なんて緩い「掟」は力を持ち得ないだろう。
だから、その掟は、
絶対にケツを割ってはいけない
でなくてはならず、
時と場合に応じて(たとえば、時間と体力があり余っている場合には)、ケツを割らないようにしましょう。
ではいかんのだよなぁ。
むずかしいもんだと思う。
いまは、その掟は取り下げました。
ちなみに、取り下げる前の方が、働くのが楽しかったよ。
ネガティブに終わるのはナンなので、前向きに終えよう。
ひとつの「公理」ですべてに対処できるような、 単純な時期を終えてしまったという話だと思うことにする。
学生の頃の自分が見たら「大人ですね(笑)」といわれてしまうステージに達したと。
ひとつの掟で取り回せる貴重な時期を、 実際にひとつの掟で運用してみることが出来たんだから、よかったじゃないか。
そのせいで、周囲(最も迷惑したのは、おそらく妻。そして、上司、同僚) に迷惑をかけてしまったと思うけど。
だから、斜に構えている場合では、ありません。
たったひとつの掟では不十分でしたというのなら、4つにしてみよう!!(←あほ
http://lifehacking.jp/2008/03/life-instructions/
増えただけ説。
なんなんだ、この異様なまでの完成度の高さ!
ウルトラマンだけど、質問ある?とか、 普通に勉強になりました。へーへー。知らんかった。
149 名前:ディノゾール 2008-03-30 23:37:52 ディノゾール ウルトラマンタロウのツノは何の為にあるんですか? 167 名前:ウルトラマン 2008-03-30 23:41:17 ウルトラマン >>149 他人の身体的特徴についてはあまり質問しない方が良いこともあると思うんだ。
しかも教育的!
地球からアクセスできない URI (m78://sns.m-78.ult/show_friend.php?id=35) とか、かなりデキる。
今週の金曜日は、年次休暇をとろう。そうしよう。
ひさしぶりに映画を観に行こうかなぁ。 というのも、「接吻」のレビューに惹かれたから。
http://movie.goo.ne.jp/showtimes/HALCSTD1000391.html
渋谷にいけば、まだ見られるようだ。
「ライラの冒険」も面白そうなんだけどねぇ。原作も、つい最近読んだ。 こっちは、まあ、子供たちがもうちょっと大きくなったときに、いっしょに DVD か何か (そのころ普及しているメディアは何だろう?)で見よう。
いや、なに、「接吻」のような高尚な邦画を見るべきであって、 「ライラの冒険」なんざは一段劣ると考えているわけではないんです。
なにしろ、本屋でたまたま見つけた 公式ビジュアルガイドの前は素通りできなくて、 つい買ってしまったくらいで。
実は、あのあと、 また焼きました。ホットケーキ。
最初つかったのは、写真にもうつっている箱入りのホットケーキミックス(どこのかわすれた)で、 付属のメイプル風シロップはつかわずに、そのままかじってたべた。 でも、ほんのり甘くておいしかったよ。
で、ホットケーキづいてしまい、冷凍分をたべつくした次の日に、 またホットケーキミックスを買ってきて、焼いた。 こんどは、99 円ショップで売っていたやつで、箱に入ってなくて、シロップもついてない代わりに、 安いやつ。最初の箱入のが、4枚分で 400 円弱で、こんどのは 6 枚分で 104 円ですよ。 ま、箱もいらんし、シロップもいらないんだから、こっちで良かろう。
でー、ですね。味が違うかというと、ちがった。 何にもつけずに食べるので、結構違いがわかるんですよ。連日たべてるし。 どちらも僕が名前を聞いたことある程度に「名の知れた」ベンダー(笑)の粉なので、 片方が粗悪だというわけではないと思いますが、ちがうなぁ。ちがうのだよ。
4 枚分のほうが、卵1こつかうのに対し、6 枚分の方は2こ使うことになってたので、 粉の品質の違いというより、レシピの違いの方が大きいように思う。 後者の方が卵くさかったってわけでもないんですが。
いやぁ、ホットケーキいいよ。 おやつを食べるのに、ひと手間かかるってとこがいい。 おやつ食べすぎないためには、そんくらいが丁度いいよ。
ああ、話が前後してしまった。
買ってくる粉によって、いちいち味が変わるのは、おもしろくないのである。 かといって、ひとつの商品にロックされるのも……場合によっては悪くないけど……
よおし、とおちゃん、まちがった方向に力そそいぢゃうぞ!
というわけで、これ→ http://allabout.co.jp/gourmet/cookingabc/closeup/CU20020827a/
バニラエッセンスは、いれる。
みてろよー。
閉鎖されちゃったみたいなので、 もう確認できないんですけど、たしか「地球に行くとありがちなこと」 スレ*1 でご本人がぼやいてたんですよね。
「ウルトラマン セブンっていわれがちだけど、ほんとはウルトラセブンなんだよね」
あー、そうなのか。それは、すみませんでした。
ってゆか、手遅れっぽいです。
どっち貼るか迷ったので、両方はってみた。
*1 だれか魚拓とってるかな〜と思ったけど、このスレッドのページは無かったみたい。
これを読んで、 ふと思った。
僕が、もし、困り切っている外国人を見つけたとする。 しかも、幸いいまは暇だ。
暇にまかせて、彼の当面の困難をすっかり取り除いてしまうまで助けてあげれば、 彼はかなり助かるんではないか。 いっしょに泊まるところを探してあげて、なんなら家に泊めてやろうか?
でも、現実の僕は、そんなことしない。できない。どうしてだろう?
最初に思いついた言い訳は、「そーゆー社会じゃないもん」だ。
だってね、そこまでするのは、「普通」じゃないもの。 そこまで親切にするのは標準的じゃない。 でも、その親切を単発のつもりで行ってしまって、でも、その外国人が、たびたびその 「親切」を必要としてしまったらどうする? 思うに、社会にそんな受け皿はないよ。 自分ばっかり頼られたり、なつかれるかも。めんどくせー。
もし、みーんなが、そういう親切を当たり前に行う社会だったら、 そんな心配しなくていいよね。
うーん、さすがに、書いてみれば、なんか違うというのはわかるよ。 つか、ツッコミどころは満載だと思う。
だけど、ちょっと隅っこをつっついてみる。
「自分が妊婦になると、急に世の中が妊婦だらけだったことに気づく」 という話はご存じだろうか。 僕は妊婦になったことがないけど、配偶者が妊婦になったことはある。 すると、この話が本当だったことに気づく。 (この話を耳にするのも、その辺のタイミングだったりするんだけど)
本当にどっから湧いてきたんだと思うくらい、いままで見てきた筈の風景に、 妊婦や、小さいこどもがいっぱいいたんだということに気づいて、びっくりする。 普段あるいている道に、駅に、スーパーマーケットに。
「あ、小さい子が歩いてる……。あ、こけた!」
当然のことながら、急に湧いてでたわけではない。 今まで気づいてなかっただけで、もとから自分の身の回りには、たくさんいたんだ。
いまの僕は、すごく困っている人をみつけたときに、 とっても親切にしてあげる人は、さほどいないんじゃないかと踏んでいるわけだが…… 調べて言っているわけじゃない。本当に、少ないんだろうか。
もし、自分が一歩踏み出してみたら、おなじように一歩踏み出した人が、 急に町中に溢れかえって見えたりしないだろうか。
「人は、『見たい』ものをみる」というけど、「見たい」という言い方がふさわしいほど、 そのフィルタリングは能動的なものではないような気がする。
もともとは、マレーシア人の Maiki さんが自分で英訳して歌ったのがはじまりで、Maiki さんのお友達のカナダ人 KL さんが歌ったのが、上の。 KL さんによるイラストも面白い。 どうやら、ちょっとずつ歌詞の改善もされているみたい。
いや、THOUSAND MILLION の弾幕きれいです。 あるとらまん!国家!!
フランス語もやってほしい。
ヒアリング向けに、歌詞を書き出してみました。
おお、reddit には、r/japan なんてのも、あるんですね。 日本に興味がある(らしい)外国人によるソーシャル・ブックマークって感じですか。
「リポビタンD がやめらんなくて」 「日本のサラリーマン飲料は、ニコチンが入ってて、依存性があるからヤヴァい Yo!」 みたいな話をしているようだ。
成分一覧表を見ると、 ニコチン酸アミドなる文字が見えるが……これ??
http://www.kenko.com/info/advice/20010709.html
ニコチン酸アミドはビタミンB群のひとつで、たばこに含まれるニコチンと 名前は似ていますが体に害はございませんのでご安心ください。 ニコチン酸アミドは、”ニコチン酸”や”ビタミンB3”とも言われ総称して ナイアシンと総称されています。
てなわけで、r/japan の件の雑談にまじってきた。13日前のやりとりのようなので、 いまさら感ありまくりですが。
ほんとは、「僕も、ドリンク剤の飲みすぎは体に良くないとは思うけど、 それは別にニコチンのせいじゃないと思う(ニコチンは入ってないはず)。 カロリー過多と、もしかしたらカフェインの類の刺激物を採りすぎることになるんじゃないか」 と言いたかったんだけど、んなこと気軽に書けるだけの英語力がない。
ま、ぼちぼち練習のつもりで、あちこち出没させてもらおうかな。
あ、いや、元のコメントは
I'm addicted to Lipovitan D. I heard it has nicotine in it...
となっていて、何か依存性のある物質が入っていないかを懸念しているんですね。 そのことについて、僕が知っていることは無いので、 「それニコチンじゃないと思うよ」だけでいいのか。
依存性(があるとして、)の犯人は、なんだろう。糖分かな?カフェイン? 味が好きとか?
http://d.hatena.ne.jp/mkomiya/20080410/1207823817
これを読んで、以前そーいえば、あーゆーの読んだなと思ったので、 グーグル様に聞いてほり返してみた。
ああ、嘘コメントしちゃったなぁ。論文までは見てないや。 僕が覚えていたのは、 Americans and Japanese Read Faces Differently にあった、以下の記述でした:
Because Japanese people tend to focus on the eyes, they could be better, overall, than Americans at perceiving people’s true feelings.
あ、いや、こっちだったかも:
日本では感情を口などの表情に出すことは無作法だと考えられているからだろう。 目の表情は隠せないので、そっちのほうが本音を的確に判断できる……
池田信夫 blog だったとわ!
もう、言おうと思ってたこと、先に言っちゃうんだもんなぁ、グーグル先生。
「賽は投げられた」と「賽は振られた」のどっちがポピュラーか調べようと思ったんですが、 上の画面にでくわして、すっかりもう、どうでもよくなっちゃいました。
さすがです、せんせい!
あー、いたたた。
腰痛持ちだし、ここんとこ、とみに運動不足だし、背中が痛いくらい不思議なことじゃないんですが、 「背中が痛い」でググってみる と結構恐いことが書いてある。
打ち身や打撲がきっかけじゃないと思う。
左側、わりと低い位置が痛い。
あー、明日も痛かったら、医者いこかな。
……でも、やっぱ運動不足+お腹まわりがたるみ過ぎかな。 一週間ほど様子見てみよう。
こどもをお風呂いれているとき、座ったまま両手でこどもを持ち上げて、 湯舟から出したりするときに「あいててて」となるので、まあ、筋肉の痛みかなと思っている。
いや、失敗するのも経験のうちだと思っている。
文章を書いて、それを人に読まれるところに置いてみると、 そうする前にはちょっと予想してなかった事態に出くわすことが多い。 大抵は、さほど重大な「事態」にはならず、「へー、そういう読まれかたするんだぁ」 という発見をする程度なのだが。
もっとはっきりと失敗することもある。 ああ、あんなこと、あんな風に書かなければよかったなと反省する。 それもアリだろう。今度はもっとうまくやれるかもしれない。 それに、自分にはその程度の実力しかないんだと知っておくことにも意味はありそうだ。
そんなわけで、文章を書くことで、自分の拙さが露見することを厭わずに、 ちょこちょこ書いてみようかなと思っているわけですが……ですが……
次の主張には、全面的に賛成せざるを得ません。
四十手前のおじさんからのアドバイスですが、ブログとか書くのは三十過ぎてからにしとけよ! 中学生とか高校生とかハタチぐらいのときの文章がウェブで全世界に好評されて しかもアーカイブとかキャッシュとかで永遠に残るって、それなんて地獄?
今の僕が書く文章だって、拙いし、場合によっては不愉快だろうし、 アホな子が書いたようにしか見えないこともあるだろうけど…… これでもある程度注意を払っているんですよ!まぢで!!
10代、20代の僕が発する言葉は、もっとイタかったと思う。 ほんと、それが事実上永久に参照可能な場所に置かれてしまうなんて! まさに、「それなんて地獄?」
幸い、当時の僕の言葉は、音声として大気中に拡散してしまったか、 Nifty Serve の終焉とともにどっかへいったか、 友人の PC のメールボックスに暫く堆積した後に消滅したかのいずれかの経路をたどったはずだ。 ほっ。いまの時代に10代とかじゃなくてよかったぜ。
読解・対話を通して見えてくる、相手のコミュニケーション可能性(駄目だこりゃ、というのも含めて) に書かれているようなことは、ある程度実感としてわかっているつもり。 それも、失敗を通じて。
一生残ってしまうわけではない失敗を経験できた方がいいでしょう。
そういった意味で、若者には、「箱庭」が用意されていても良いと思う。 おっちゃんが、こういうこと思うのは、傲慢ですかね。
英語のペーパーバックを読破したことのない、おれさまが、ですよ。
いやしかし、「小説作法」を読めば、「キャリー」を読んでみたくなります。 奥さんが、ごみ箱からサルベージして、筆者を励まして、 ふたりで喜んだデビュー作がどんなだったのか。
「小説作法」は、その題名から、読者を選ぶ感じがするかも知れないけど、 んなこたないと思う。 スティーブン・キングが、書くという行為について綴ったエッセイです。
僕は、「小説作法」を、たまたま日吉の古本屋でみかけて入手したんですが、 もしかして、これも 絶版だったりするの?
「キャリー」も、邦訳は絶版なのか なぁ。
まあ、「キャリー」は、やっぱ邦訳にしておくべきか、 筆者が自分で綴った文章を読みたいので原書かと迷っていたところに、 選択肢が狭まったので、ある意味助かったんだけど。
「小説作法」はおもしろいよ! 結城さんも書かれているように、 読みながら、なんども涙ぐんでしまう。 たとえば、「キャリー」のペーパーバック化が決まった知らせは、 ほんとに嬉しい。 その知らせを聞いた奥さんは、泣く。 そりゃそうだろう。読んでるこっちも泣きそうだもん。
しかし、キングは「彼女は、泣いた。」としか書かないんだよね。 文章はそうあるべきだと主張しているエッセイのなかで、見事にそれを実践している。
http://d.hatena.ne.jp/akio71/20080416#p1
聞けば聞くほど、はてな怖いよ、無理」「あそこは2ちゃんよりヤバい」 「あんたの所にリンクはったら、はてなのヤバい人が流れ込んできそうだから嫌」 という結論に落ち着いてしまいました。
笑。すまんが、わろた。
はっきりいって、その恐怖は誤解にもとづいている。変な印象もちすぎでしょう。
と、笑って済ませるつもりだったんですが……まてよ。
僕も、「はてな」を選びませんでした。どうしてだっけ?
ひとつは、お仕着せのサービスだけじゃなくて、 自作の CGI とか置けるところを探していたというのが理由。 かつ、「Ruby つかえるとこ」とかいって探した。tDiary にしたかったし。
でも、まったく選択肢として思いつきもしなかったかというと、そうではなかった。
レンタルサーバは借りるとして、日記だけは「はてな」でというのも、少し考えた。 でも、やめた。
「はてな」で日記を書こうとすると、 「はてな市民」とやらになるらしいというのが、どうしても嫌だったんだよなぁ。
なに?自動的に、得体の知れない共同体の一員になるの?
もちろん、「『はてな市民』である」という事実が、 なにか具体的なストレスになると考えていたわけではない。 自分が仮に「はてな市民」になったからといって、事実上の効果は別になにもないだろう。 「はてな」のサービスが使えるようになるだけだ。
だけど、なーんとなく嫌だったんだよなぁ、たしかに。 「はてな市民」になるの、おれ? 無料のサービスを「使わせていただく」から、それくらいは仕方がない?
やめた。やめました。
という条件がととのえば、使ったと思う。 実際、「はてな」は全ての条件をかなり優秀な成績でクリアしていると思うんだけど、 第3の点でちょーっとだけ引っかかった。
「『はてな市民』かぁ。なんやそれー」
「はてな」を利用している人=「『はてな』な人」みたいな図式を導入してしまったのは、 旨くなかったんじゃないかなぁと少し思うよ。
ま、個人的むかしばなしですが。
ただしくは、「はてな市民」ではなく、 「はてなダイアリー市民」らしい。
もちろん、これは共同体への従属とか参画を強要する概念ではなくて、 ある種のサービスを利用する資格があるという意味しか実際にはありません。
つい甘いモノが読みたくなって、 「図書館戦争」を買ってきた。
ハードカバーの小説を、自費で、定価で買うなんて、生まれてはじめてかもぉ!
ただのにっきオソルベシ。 最後のひと押しは、 作者ごほんにんの文章 を読んでしまったことでした。
http://www.webdokusho.com/rensai/sakka/michi68.html
私が昔に書いたもの、趣味でちょっと書いたものなども読んでもらっていたんですけれど、 私は手が届かないと思っていたのに「君はいつかプロになるよ」とずっと言っていました。 大賞をいただいでデビューした時も、「ホラ、言った通りになっただろ」と、 なぜか私よりもずっと、私が作家になると信じていました。
ええ話や。
ちょっとしつこくて申し訳ないけど、スティーブン・キングの「小説作法」にも、 似たような話がでてくる。
とにかく貧しくて、お金がなくて、時間的余裕もなくて、 当然、がんばれば作家になれるという保証なんてなくて…… それでも若いキングは毎日文章を書いていた。
そのとき、奥さんは、決して「そんなの、時間の無駄だ」とは言わなかったそうです。 言われていたら、きっと心が萎えてしまっていただろうと彼は振り返っています。
彼の、作家になるという夢をはげましたのは、最初は母親、そして妻。 そのことにも、そのことに対する感謝を率直に語る彼にも共感してしまいます。
http://books.yahoo.co.jp/interview/detail/31662609/02.html
「私はなんとなく郁がピンクかなと思ったんですけど、 ダンナの考えた色のほうが合っていて悔しかった(笑)。 “郁はどう考えてもレッドやろ!”って言うんです。私はレッドは堂上だと思ってたんですが、 それもちがうって。堂上はブルーだそうです。そうすると小牧がグリーンで、 柴崎がピンク、消去法でイエローは手塚だよね、って。手塚は不本意でしょうけど」
古いよ。今時の戦隊モノ(といっても、「獣拳戦隊ゲキレンジャー」と「炎神戦隊ゴーオンジャー」 しか知らないけど)では、女の子は黄色ですから!
ま、「郁はどう考えてもレッドやろ!」はその通り。異論なし。
当たり前のように思っているが、 それは「仮定」もしくは「推論」ですよねっちゅうことはある。 ここで関係しそうな、互いに異なる推論に名札をつけときましょう。
(A) 私には意識がある。感情もある。
(B) 私に意識・感情があるんだったら、私以外の人間にも意識・感情があるんだろう。
(C) 私以外の人間の感情は、きっと私と同じようなもんだろう。
B の推論は、A が真であることを前提にしています。同じように、C は B を前提にしています。 そういういみで、これら 3 つは独立していませんが、混同すべきではありません。
という前振りののちに、これ→ 「人間の少女には心がある」のと同じ意味で「二次元のアニメ美少女にも心がある」かもしれないよ。
うげー、かんべんしてほしい。
常識を疑う類の議論で、こーゆーふーに杜撰なのは、いかんと思うんだが。
「あなたの気持ちは、痛いほどよく分かります。」
と言いながら、
とんでもなく見当違いの同情
をしてくれる方がいらっしゃいます
これは、最初の名札でいうと C の推論は妥当でないことが多いという主張ですね。 または、C の主張そのものは良いとしても、個々の判断で間違うことが珍しくないと。 私とあなたで入出力関係は同じようなもんなんだけど、他人に対する入力を把握してないために、 結果である「感情」の推定に失敗していると考えることだって可能だ。
B については何も言っていないし、言えない。 筆者は、ここで「素朴な思い込みを疑いましょう」的なショックをあたえておいて、 議論を進めるんですが、なんかおかしい。
まだ、C について疑問を投げかけることにしか成功していないのに、B に手を付けようとします。 いえね、B を疑問視するなとは言わないけど、やりかたが変じゃないかなぁ。
A はいつのまに安全地帯におかれたのかというのも気になる。
唯一ノンフィクションだと言い切れるのは自分の感情やクオリアだけです。
そうだったのか!
「おまえは、もう釣られている!」
ひでぶ!
リンク先記事の議論の進めかたには、拒絶反応に近いものがでちゃうんですが、 「『人間の少女には心がある』のと同じ意味で『二次元のアニメ美少女にも心がある』かもしれないよ」 というタイトルの主張には同意できる。
僕等が、他人の感情を推し量るプロセスと、 二次元のアニメ美少女の感情を推し量るプロセスは同じでしょう。
推し量った本人にとって、どちらの感動がより「真実」かと問われたら…… うーん……おんなじじゃね?
つーことですよね。
他人の感情を推し量ることによって、僕等は感動する。 その感動の質というか、感動をうむプロセス、機構は、両者いずれの場合もいっしょだよ。
へいへい、同意。
そっから先(って何処なんだ)は同意できないなぁ。
http://sspp2nd.blogspot.com/2008/04/100_29.html (reddit/r/ja 経由)
100人の囚人がいて、100個の木箱の中にそれぞれの名前がかかれている紙が入っています。
100個の木箱はある小部屋に置かれており、囚人は一人ずつその小部屋に連れて行かれ、 100個の木箱のうち50個を開く事が許されます。開いた50個の中に自分の名前があればセーフ。 なければアウトです。囚人は部屋の状態を元通りに戻し、部屋を出ます。 部屋を出た後は他の囚人と連絡を取る事はできませんが、 入る前にみんなで作戦を立てる事はできます。
一人でも開いた50箱の中に自分の名前がなかった者がいれば、全員死刑です。 みんな生き残りたいので、3割以上の確率で生き残れる戦略を考えて下さい。
無策で臨んだ場合の生存確率にくらべると、3割とは異常に高い。 ぐー、ほんとにそんな方法はあるんだろうか?
ぐあぁ、gaz さんのコメント (2008/04/30 13:13:00) をみてしまった! たしかに、無策でいくよりも、ぐんと生存確率があがりそう。
これで本当に「3割以上」の条件を満たすのかどうかってのは、 群論の問題なんじゃないのかなぁ。任意の置換を、互換の積で表したときに……なんとか、かんとか。
結城さんのところで、「iPod の曲をシャッフルする方法」が取り上げられていたことがあるけど、 あれとも関連しているような……。
あとでやる。
ああ、ダメな子の僕は、ググってしまった!!
http://reddit.com/info/6hi6b/comments/c03vjhr
Seven Puzzles You Think You Must Not Have Heard Correctly with solutionsの解説が詳しめかな。
読んだんだけど、"(k - 1)! ways to order them" のところが腑に落ちない。 いや、サイクル長を変えないためには、末尾を変えちゃいけないってのはわかるんだけど。 (それ以前に、組み合わせの計算を間違ってて頓挫してたのは内緒だ)。
# よこ [カネゴンサイト、ブログ炎上により閉鎖されましたぉ(4/1おわり)]
# うんの [ああ、終わりか! もったいないけど、一日限定にしてこそのネタなのかもなぁ。 やー、あれ作った人は、かなり「わかって..]