海野秀之(うんのひでゆき)の外部記憶
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http://sociologbook.net/sb.cgi?eid=198
うん、議論というのは、とても難しいと思う。 まじめにやっても難しいのに、その難しさを意図的に利用して紛らわせようとするのをみると、 ほんと腹たつんだけどなぁ*1。 「足止め効果」か、うまいこというなあ。
しかし、新書って、すさまじく価値がまちまちよねー。 あんまり外れを引いていられるほどの読書量がないので、 書店で適当に手に取って買う気にはなかなかなれない。 こういう風に、Web で紹介してくれるのはあり難いです。 (あんまり、すぐには買わないんだけど。)
あ、そうそう、年末年始によむぞーと言っていた本は、あんまりちゃんと読めませんでした。 いちおう、子供を寝かし付けてから、自分が寝るまでの短い時間だけ手に取ってはみるんですが。 ま、ざっとは読めたので(何度めだか!)、次に紙と鉛筆もって読むときの助けにはなるかな。
い、一月中によむぞ〜!
*1 わざとじゃなく、罠にどはまりすることも多いけど。
……という趣旨のメッセージを、Microsoft 自身が発信しているという話。
http://wiredvision.jp/news/200801/2008010623.html
ふつーに推論すると、そうなるのだが、はたしてそうかな?
実際には、あたらしいバージョンの Office への移行を促す効果だとか、 サポート機会とかの増加が支配的で、 (Microsoft への)不利益は測定不能だったりするのかも知れない。
あー、でもなー、マイクソソフト製品を極力使いたくない僕でも、 なんかデータの処理とかエクセルでやって、 「あー、あんな評価したなぁ」って掘り返してきたのが5年前のファイルだったり、 たまにするなぁ。
そこで開けなかったら、確かにこまる。
やっぱ、脱エクセルも本気で考えるか(「本気」でなくていいなら、 すでに出来るだけマイクソソフト製品を使わない派)。
ECC (Let's enjoy English! じゃなくて、「誤り検出と訂正」の方) を使った数当て手品。 ちょっと気が向いたので、CGI プログラムにしてみました*1。
http://uhideyuki.sakura.ne.jp/files2008/7_4_sec.html
これは、 ちょっと前に*2 秋山仁さんが NHK の「高校講座」でやっていたネタです。 彼が使った検査行列*3 までは覚えていないので、細部が微妙にちがったりするかも知れませんが。
夜おそくに会社から帰ってきてテレビつけたらやっていて、 「おお、ハミング符号を高校生相手にやるのか」と思ったのを覚えています。
http://www.amazon.co.jp/dp/4822221067
会社の図書室で借りて読んでいたんだけど、 読んでいるうちに我慢できなくなって注文。
名著だ!と叫ぶ(心の中で)。
8000 円以上するけど、この本を 8000 円出すだけで読める(しかも、日本語で)のは、 すばらしいことだ。
ひさびさに。ja.reddit でみつけたサイト。
せっかくなので、笑った点をいくつか:
・悲しかったら眠る。
・しんどかったら泣く。
「しんどかったら眠る」、「悲しかったら泣く」じゃなかったとこが好き。
その通り!声を掛けろ!
失敗するイメージしか得られなくても、失敗一回分経験を積むつもりでいっとけ。
僕はもう独身じゃないから、今後一切声かけないけどね。
プログラマー「カタカタカタ…」(黙々とキーボードをたたく音)
→人は動きがないものには興味を示しづらい。
笑。
いや、お見事。
自分が良いと思っていることを、 良いと思ってくれない無名の「大衆」を悪者にしない姿勢はすばらしいと思います。
これは、生まれつき持っていた能力ではなく*1、 苦労した結果身につけたものなんだろうなぁと思うので、なおさら。
板尾(笑)
係長!
「おもしろさ」というのは、まったく全順序じゃないと思うのですが、 そこをあえて一列に並べてしまったとして、板尾創路が極めて上位だとまでは思わないのですが、 「板尾創路よりおもしろい人じゃなきゃいやだ」となると、絶望的な感じがするのは何故か。
*1 人類が進化の過程で手に入れた、生得的な能力は、どちらかというと、他者というかワカラナイモノを攻撃する方に偏っていると思う。(==句点==読点打ちすぎ)
教科書と並行して、PCI Express 仕様を読んでみる。
おー、Transaction, Data Link, Physical の 3 層なのね、とか、 High-Level Layering Diagram の Physical の箱のなかに "Logical Sub-block" が 入っていてキュートだとか(悪いとは思ってません)の他に、ぱっと見、目に付いたのが 行番号。
たしかに、仕様書には行番号がふってあると便利だ。
LaTeX にもあるみたいですね、lineno パッケージ。使ってみよう。
http://www.tex.ac.uk/tex-archive/macros/latex/contrib/lineno/
lineno.pdf を読むといいらしい(あとで読む)。
えー、会社のデスクにおいてある、マグカップ。
いつも使う前に必ずあらうのですが、使ったあと、 一日の最後に洗って帰るようなことはしていない。
で、しばらく使っていなかったんです。こう、コーヒー切らしてたりしたもんで。
つまり、洗わないまま数日放ってあった。
で、ふとみると。白いつぶつぶが、ふさふさ。
きゃー! かびー!!
カビゴンは、こういうの平気だから カビゴンって呼ぶんだよ、おかしいね、カビゴン。
……ぼくは平気じゃないので熱湯で(いつも給湯室の熱湯で使用前に洗っている) 洗いました。
洗っちまえば、平気。
ところで、ポケモンの大きさって、小数点以下第一位まで有効なんでしょうか? 個体差とかないの? (「ポケモン図鑑 DP(オレンジ色)」にしょっちゅうダメだしされている者談)
あ、ついでに調べておこう。あと3体と出会うと、シンオウ地方の全種類制覇なんだよなぁ。
ふふふ、ディアルガはもう登録済だぜ。
The purpose of this Reference Model of Open System Interconnection is to provide a common basis for the coordination of standards development for the purpose of system interconnection, while allowing existing standards to be placed into perspective within the overall Reference Model.
これは ISO/IEC 7498-1 の冒頭の一文。OSI 参照モデルの存在意義を宣言したものなんだが、 今日この一文に救われたような気がするので、感謝をこめて引用。
OSI なんてまったく気にせずに設計された既存のアーキテクチャを理解したいというときにも、 参照モデルに沿ったモデル化をあきらめることはないんだよなぁ。 確信はなかったけど、引用文のように高らかに宣言してあったので、 きっとできると信じることができた…ような。
あと、くどいけど、タネンバウムの「コンピュータネットワーク」は名著だ! 何回でも叫べるぜ! OSI を読むときにも、その他の具体的なアーキテクチャを理解するときにも、 この教科書から得られる事前知識がめちゃくちゃ役に立つ。
あ、そだ。PCI Express 三層モデルの最上位層は Transport じゃなくて、 Transaction layer と名付けられているのだけど、これは PCI のオリジナルなんかなぁ。 Transport とは似て異なるから、違う名前をつけときましたということなのか、 OSI 以外の参照モデルが (PCI の外に) 存在するのか。
立ち上がる無神論者 を読んだ日の夜に考えた(思った)ことなんだけど、 こんな話題に触れる以前に、 「神」、「存在」、「信じる」といった言葉の意味について、 なんらかの同意に至る自信すらないので、ここに書くのはやめておくことにした。
でも、さっきCoco さんのを読んで、 ぼくも今おもったことをメモっておこうかなと。
「親バカ」は生得的な能力だと思う。つまり、
なんの話かと思われるかもしれないが、えーと、なにしろ、僕は、自分の子供たちが ぷりちーで仕方がないということだ。 よー、こんなぷりちーな生き物がお腹の中から出てくるなぁ、すげーな奥さん!
ぼくにとって、自分の子がぷりちーで仕方がないのは、子育てが決して楽じゃないことと セットで獲得した機能によるものだと思う。 子育てが決して楽じゃないのは、人間の赤子は、しまうまの赤ちゃんのように、生まれてすぐ 自力で動けるようになったりしないからだ。 しまうまは、そうで無ければ生きていけない環境に適応し、人間はそうなってない代わりに、 しまうまが持てなかった能力をもった。
そんなことはわかっているが、下の子(一歳)がもっとも頻繁に発する単語が 「パパ」でも「ママ」でも「まんま」でもなく、 「ばいちん*1」であって、起き抜けにいきなり 「ばいちん!」というのを聞いて、(うきゃー、かわいい!もう一回言って!)と思って、 さらに「ばいちん、ばいちん」と言うのを聞いているときの感情にまったく影響を 及ぼさないぞ。
結婚したときにも不思議だった。その前まで、ひとりで暮らしていたのに。 なぜかもう一人同じおうちに住んでいる。なぜだか、よくわからないけど、いる。
しかし、子供が生まれたことによる不思議は、同じっちゃ同じだけど、 不思議度はくらべものにならない。この子は、いまでこそ「パパ、ぼく、顔にみずかかっても 泣かへんようになってん」とか言っているけど、数年前にはどこにも存在していなかったんだぞ!
すげーよ。これでも神に感謝するなって?それが科学?
んなわけねーだろ。
と、夢の中で考えていたら、覚醒してしまっていた。時計をみると午前5時だった。
すると、隣で寝ていた長男が、ぽつり。(「ねえ、パパ」とかの呼びかけもなしに、 寝言のように)
「ハクリュウってしってる?」
(いきなりかよ。普通なら俺は寝てるぞ。)「ん、知らんけど」
「へびみたいなポケモンやねん」
「あ、ああ、湖の底に住んでるやつ」
「そう」
おやすみ。まだ早いから、もう一回ねろ。
進化論を支持することと信仰が、矛盾する*2 とは思えないなぁ。
奇跡を認識する能力だって、進化の賜なんじゃないの、とか。 調子にのっていえば、「誰もみていない」状況下で悪事を抑止するもうひとつの人格を 自分の心のなかに置いておける能力だって、 その方が社会を構築するのに都合がよかったか何かの理由で生き残った能力なんでしょう?
まぁ、だからどうってこともなくて、まとまらないんですけど。
立ち上がる無神論者 の内容を批判するつもりは、まったくない。
いまのアメリカの状況は、今あのように発言する価値があるような状況なんだろうなぁと いう感じで読みました。
「てれびくん」の予告をみてからというもの、 待ち焦がれて続けていた(おおげさ)ヤッターマンをみた。
きゃー、ドロンジョ!ボヤッキー!(トンズラーもいます!)
今回は、三連休だったからみられましたが、 こんなオッサンホイホイを平日に仕掛けるなんて理解にくるしみます。
ところで、長男はゲキレンジャーと仮面ライダーが好きで、「てれびくん」に載っていた ヤッターマンページに一瞥もくれなかったんですが、放映は一応じっとみていた模様。
「なあなぁ、この、ドロンボー一味とロケット団は似てると思わへん?ほら、ムサシ!」
「似てない。ぜんぜん似てない。(長男)」
「あ、そう」
「なあなぁ、ドクロベェがそこにあるっていうから取りにいったのに、 偽もんだったといって『おしおき』するなんて、ひどくない?なーなー、ひどいよね。」
「うざー、めんどくせー(妻)」
……はしゃいでんのは、おれだけですか?
「なあなぁ…」
「ばいちんっ。ばいちんばいちんっ(次男)」
「……」
ごめんよぉ、とおちゃん、どんくさくて。
パルキア出現!ってとこで、迷路になったんだけど、「あの黒いのは何かな?」って 近寄ったら穴におっこちてアウチ!
ううぅ、すまん。
ってわけで: http://okwave.jp/qa3598877.html
今朝(1/16) シンオウ地方の 151 種コンプリートしました! (もちろん、長男(4才)操作のもとで)
ナナカマド博士にかわって、オオキド博士がでてきて、 「○○くんのポケモン図鑑をパワーアップしてあげよう」とかいって全国版にしてくれた。
キモリとかヘイガニの姿がみられるようになって、長男よろこびまくり。よかったなー。
たかがおもちゃなんだが、どんどんカタカナを覚えていったり、 索引をひくという行為を覚えていったりしてくれているようなのも嬉しい。
http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20071219
(val it : α → α = fun から ときどきの雑記帖 リターンズ経由)
読むしかないって気がした(が、実際には、さらに気が向いたら読む)。
http://www.amazon.co.jp/dp/4785690496
やっぱり勉強しなおしたくなった*1 ので。図書館で見かけて借りたのと並行して、注文。
*1 こうかくと、一度はキチンと勉強したかのような印象をあたえるかもしれないな。すんません、そんなことは、ないんです。
http://www.kmonos.net/wlog/81.html#_1844080115
うう、読みたい。
読む能力 (≒スピード) が、ぜんぜん追い付かないよぉ。
というわけで、注文した。
「現代制御論」、「コンピュータネットワーク」と、ぞくぞくと家にとどくことになるので、 一応妻に断っておいたら、「いいよぉ、本ぐらい気兼ねなく買ってくれたら」とか言うので、 それを拡大解釈してたら勇気づけられてしまった。わははは。
一方の Gauche 本は、リアル本屋で見かけたら買うトラップをサブリミナルに仕掛けておくことにする。
ちなみに、グラフ理論については グラフ理論入門という本を学生時代に買って、 あまり読まないまま今も手元にある。この本も結構良い本なんじゃないかなぁという気がする (買ったときも、そんな気がしたから買ったんだけど)ので、グラフ理論に対する興味が あたためなおされた今回の機会に読もう。
今月は、なんかポコポコと本を買いすぎている感があるので、 最短経路の本はもう買うと決めたとして、来月にまわしてみるかなぁとか。
うお、そういえば、出たら買おうと思っていた本が他にもあったことを、 へそまがり算法騎士団のプレスリリース を読んで思い出した。
ぐうぅ(←よろこんでいる)
ウメダモチヲ先生の、「これからは、自分より年下とつきあう」というやつ。 あれ、きわめて非対称なんですが、どうなんでしょう。
センセイが自分よりも年下の人間とつきあっているとき、 その相手は自分よりも年上であるセンセイとつき合うことになるんですが。
センセイよりも年上のおじいちゃんは、 「これからは、自分より年下とつきあう」とかいっても、センセイには相手にしてもらえず、
センセイよりも年下の美少年は 「これからは、自分より年下とつきあう」とかいわずに、センセイとお付き合い。
ふーん。あ、そう。(←興味がないならやめとけって)
昨日の晩、芥川賞がどうしたこうしたとかいうニュースをテレビでみた。 ん?なんかみたことある名前……
一時期、田崎さんのアンテナ経由でみてたんだけど。
「純粋知性批判」は、大学生のうちに読んどけとかいわれて*1 一応入手したんだけど、 興味が保てなくて放棄 (あんなに薄い本なのに!)。ごめんなさい、だめな子で。 今読んだら印象がちがうのかなぁ。薄いし、押入に眠っているはずだし、取り出してみるか。
ちょっと前、渋谷で、すこしだけ時間をつぶす必要があって、でも本屋の位置がわかんなくて、 たまたま見つけたオサレーな感じの本屋さんに入ったんです。 そこでちょと立ち読みしたのが 「わたくし率イン歯ー、または世界」 でございました。 なまじ、大阪弁に愛着があるのが邪魔をして、あんまり読み進められなかったよ。
しかし、あんなにも財布の危機を感じない本屋がこの世にあるのかーと感心した。 かたよってんのは、おれか?
ブックファーストはよかった(泣)。 あそこに入ると、気を確かに持っていないと、財布が空っぽになった。
*1 ちょくせつ「いわれた」わけじゃなくて、立花隆さんあたりが、どっかに書いてたんじゃなかったかなぁ。
http://mikumikulab.sblo.jp/article/9632808.html
野尻ボード経由です。
去年出たブルーバックスの 「音律と音階の科学」(小方厚著) にまさにその答えが載っています。私のような理数系が待ち望んでいた本でした。
こなみさんが否定的コメントをしていたり、 しばらく議論が続きそう。注文した(したのかよ!)本が届くのを心待ちにしつつ、 うおっち!
でも、なんとなくだけど、官能検査(?)を根拠にしなくても、
あたりのルールで、純正律の整数比がでてくるような気がするんだけど。あとでやってみよう。
あと、和音で心地よく感じる音程と、旋律で心地よく感じる音程には微妙なずれがあるらしいんだよなぁ。 だから平均律と純正律以外の音律がすべて淘汰されてなくなったりはしないんだとか聞いたことがある。
ってあたりの話からしても、単純なルールですべてが説明されたりしない予感。
すんません、たんなる typo なんですが、妄想すると面白くて
http://evariste.jp/kagami/diary/0000/200801.html#20080117-1
今日明日は一拍二日で
えー、一拍に二日かかるということは……
http://njb.virtualave.net/nmain0255.html#nmain20080117235703
僕も、昔の飲み屋ネタ程度の話できいたことがある。 ピアノの調律は、たとえば一オクターブ上の音と元の音の二倍音とが 調和するようにおこなうんだが、じつは二倍音が正確に 2.0 倍じゃなく、 若干高い音がなっているらしい。 なので、「正確」なピッチで調律するよりも「開き気味」になると。
ぼくの情報ソースは、むかしバイト先で聞いただけ状態だったので、 どっかに書いてあるという情報があれば欲しかった。
で、これは次のネタにしようと思っていたのですが、数学セミナー '07年12月号の太田高正氏による「ピアノ弦の性質と調律曲線」とい うタイトルの記事によれば、ここ20年来の技術でその理由が分かって きたと。実は、ピアノの倍音が正確にn倍になっておらず、高い倍音ほ ど高めに鳴っているそうです。なぜそうなっているのかは不明だそう ですが。このため、高い音は高めに調律しないと上手く協和しない
数学セミナーのバックナンバーかぁ。
ところで、プロフェッショナルの物理屋さんにも説明つかないもんなんかな >「なぜそうなっているのかは不明」
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/01/17/18139.html (ja.reddit 経由)
けっこうびっくりした、というか、やっぱ Sun はまじめに戦略的だなぁ。
Sun が進めようとしているスループット・コンピューティングにとって、 最大のネックのひとつが Oracle の価格設定(コア単位課金)なんですよね。
MySQL に有料で責任をもったサポート体制を与えるってのは、 かなり有効な戦略なんじゃないかな。べつに Oracle のシェアをぜんぶ喰う必要はないんだよ。 いままで通りのコア課金なんかしてたらやべーよって、 Oracle に思わせるだけの状況を作れればいいんだから。
Oracle が価格設定を下げずに、MySQL のシェアが伸ばせれば勝ち。 シェアを守るために Oralce が価格設定をさげてくれれば、これもやっぱり勝ち。
というわけなんで、従来の MySQL ユーザにとって、 この買収が不利になるなんてことはないと思う。 Sun は MySQL でひともうけと思っているんじゃなくて、 戦略上じゃまな 「Oracle の価格設定」に楔を打ちたいんだろうから。
なんか、邪魔なルールがあったときに、「いや、そのルールはホントに変更できないの?」 と真面目に考えられる強さのようなものを感じる。
http://uhideyuki.sakura.ne.jp/uikitexi/index.cgi?Memo200801#p2008011810
まとまったら記事にしようとかいっていると全然なんにも出力できないことは、 よーくわかったので、その日はその日のメモを書く。
で、なぜか自然対数に挑戦(?)。 ネイピア数まわりには、とってもコンプレックスがあって、んでもって、そろそろ払拭したくて。
オイラーの公式のおかげで、三角関数に関する諸々の「公式」なんて覚える必要がなかったり、 あり難いんですが……えーと、えーと。
恥を忍んで申しましょう。
ネイピア数 e が登場するいろいろな定理に、ある程度慣れ親しんでおきながら、 「そもそもeってなによ?」ってところがわかっていない。
つまり、「eは自然対数の底です。ネイピア数とも呼ばれます」、 「自然対数とはeを底とする対数関数です」という、ガチガチのデッドロックを解決しないまま、 このようなおっさんにまで成長(?)してしまったわけです。 ……ああっ、ばらしちゃった。
というわけで、相互依存のデッドロック状態から抜け出すために、 まずはネイピア数を用いずに自然対数を定義したところ。
図は、gnuplot の set terminal svg で吐いたものを Inkscape でちょちょっと加工してます。
ところで、「オイラーの贈り物」どこいったっけ。家かな、会社かな?
http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/20080109
なぜだかよくわからないけど、ぐっときた。
「好きになる算数」シリーズも要チェック。
急に英語ばっかりになって、最初は何か不具合でもあったのかと思った。
URL の変更 ( http://ja.reddit.com/ → http://ja.reddit.com/r/ja/ ) は意図されたものかなと思うけど、「不具合」もありますね。
http://ja.reddit.com/r/ja/ ページ下の view more: next をつつくと、 日本語版の次ページ に行くべきなのに、英語版にとばされる(2008-01-22 15:05 時点)。
HTML ファイルから参照されている rss の URL も英語版のままだ。
<link rel="alternate" type="application/rss+xml" title="RSS" href="/.rss" />
ま、そのうち直るだろうけど。
http://uhideyuki.sakura.ne.jp/uikitexi/index.cgi?Memo200801#p2008012310
まずは計画から。計画を妄想すんのは得意だぜ!
ふっふっふ。こんどこそ。
いつぞやの夏休みかなぁ、妻が実家から古いルービックキューブを持ってきた。 僕等が小学生くらいの頃流行ったときのものだ。
で、最近なんだけど、うちの長男(年少さん、4才)がこれに興味をもったらしく、 自分でこちゃこちゃ触っているうちに、「あと3升で一面そろう」とか、 「あと2升までいった!」とか、「あとひと升!だけど、ここからやり方がわからない」 とか言い出して*1、その都度教えてあげるうちに、 一面なら自力でいつでも揃えられるようになってしまった。
さて、ここからが問題なのである。
父親である僕が、ルービックキューブを一面しか揃えられない。 ステップ 0 相当かな。 揃えた面の周り(上の段側面)までなら揃えられるんだけど。 昔流行ったときも、あんまりのめり込まなかったので、それ以上できるようにはならなかったんだ。
のめり込むほどには興味をもたなかったというのもあるけど、当時、僕の周りには、 二面以上揃えられるひとがいなかったというのもある。 当然、やり方を教えてくれる人はいないし、簡単にやってのける人が周りにいないので、 なんとなく出来る気がしてこない。
むむむ、この状況は、いま、うちの長男がおかれている状況と同じだなぁ。
僕は、一面なら楽に揃えられるので、「ほら、揃ったよ」と長男に見せてあげることが できていたんだけど、このままでは、ここが限界になってしまうじゃないか。
別にいいっちゃいいんだけど、なんか勿体ない気がしてきた。
っつーわけで、ちょっくら揃えかたをマスターしてみようかな、なんて。
「ちょっくら」腰をあげれば出来るつもりでいるんだけど、さて?どうなんだろう?
*1 もちろん、このままのセリフをしゃべったりはしない。実際には、「ほら、パパ!みて!」って感じ。
センセーショナルな題名から想像するよりも、さらにショッキングな内容だった。
親を殺す子どもたちはどうして作られるのか (ja.reddit 経由)
“教育家族”の目的は「成績の良い子」「学歴の高い子」を作ること。 つまりは「良い子」を作ることにある。その教育家族化した家族では、 親子間に内戦状態が勃発しうるという。家庭環境に子どもが強い不満を抱いていても、 親は「これはこういうことで」と言い訳をし、何も改めようとしないので、内戦状態になるというわけだ。
芹沢さんが例を引いた手紙の内容はこうだ。
お母さん、他人と比べないで
テストの成績で私の価値を決めないで(中略)
お父さん、私がいるのに電気を消さないで
私を殺さないで
「この子の直観はすごい。自分がいるのに電気が消される。無視されることから、 自分が殺されかけていることに気付いている。こうした教育家族化に対して、 子どもたちからSOSが出ている。そういう風な殺され方に対しては、 子どもたちはやはりNOといいたい。そういう声が、手紙からは聞こえてくる」(芹沢氏)
私のことをバカっていわないで
バカなりに頑張っているんだから
私のことを悪魔っていわないで
これを読んで、すごく悲しい気持ちになったんだけど、 僕がいま立っているのは、子供たちを「殺し」かねない親の側だ。
忘れないようにしなくちゃ。
# うかい [OP,ED について何か一言どうぞ]
# うんの [オープニング: いっしゅん何の歌かわかりませんでした。 エンディング: しょうじき、覚えていない。もっとわかりやす..]
# うんの [追加: ちなみに、オープニングについては、僕は肯定的にとらえてますけど。 ゲゲゲの鬼太郎の歌みたいに、いろんな人が..]