海野秀之(うんのひでゆき)の外部記憶
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グレッグ・イーガンの 「順列都市」 を未だ読んでいなくて、 ネタバレがいやなひとは、ここから先は読まないでください。
http://d.hatena.ne.jp/nuc/20060822/p1
ところで、例えば、コンピュータシミュレーション のなかに知的な生物がいるとして、 これの計算速度を徐々に下げていく。 中の生物はそれが下がったところで気がつかない。 では0にしたら? もちろん気がつかない。永久的にそうしたら?
が、ここで s/he が「突如、死のようなもの」 にあうとは思えない。 単純な「時間発展」といった綺麗な構造は この宇宙のどこか外に「存在」していて s/he は その上を「時間発展」し続けるのではないだろうか。
シミュレートしていたものは、あくまでもその影で。
これはまさに「順列都市」の基本アイデアと同じものですね。
独立に同じことを思いつくなんて、すごいなぁ。 僕が「順列都市」を読んだときは、 やたら埃が強調されるのが気になって、 最初はピンとこなかったんですが。
イーガンは、他にも、死をテーマにしつづけていますよね。 精神と肉体が分離可能なものだとして、 精神にとっての「死」っていったいどんなものだろうかと。
ディアスポラ、ボーダー・ガード等を読むと、 早く肉体を捨てて自由になりたい!とか思うのですが、 同じ彼の作品でもアレとかアレとか (ネタバレになりそうなので伏せる。SF作品について書くのは 難しいですね) を読むと、「スイッチ」する瞬間が世にも恐ろしく感じられます。
あ、そうそう。「順列都市」には、富士通の名が登場しますよ。 一応良い意味で。