海野秀之(うんのひでゆき)の外部記憶
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当たり前のように思っているが、 それは「仮定」もしくは「推論」ですよねっちゅうことはある。 ここで関係しそうな、互いに異なる推論に名札をつけときましょう。
(A) 私には意識がある。感情もある。
(B) 私に意識・感情があるんだったら、私以外の人間にも意識・感情があるんだろう。
(C) 私以外の人間の感情は、きっと私と同じようなもんだろう。
B の推論は、A が真であることを前提にしています。同じように、C は B を前提にしています。 そういういみで、これら 3 つは独立していませんが、混同すべきではありません。
という前振りののちに、これ→ 「人間の少女には心がある」のと同じ意味で「二次元のアニメ美少女にも心がある」かもしれないよ。
うげー、かんべんしてほしい。
常識を疑う類の議論で、こーゆーふーに杜撰なのは、いかんと思うんだが。
「あなたの気持ちは、痛いほどよく分かります。」
と言いながら、
とんでもなく見当違いの同情
をしてくれる方がいらっしゃいます
これは、最初の名札でいうと C の推論は妥当でないことが多いという主張ですね。 または、C の主張そのものは良いとしても、個々の判断で間違うことが珍しくないと。 私とあなたで入出力関係は同じようなもんなんだけど、他人に対する入力を把握してないために、 結果である「感情」の推定に失敗していると考えることだって可能だ。
B については何も言っていないし、言えない。 筆者は、ここで「素朴な思い込みを疑いましょう」的なショックをあたえておいて、 議論を進めるんですが、なんかおかしい。
まだ、C について疑問を投げかけることにしか成功していないのに、B に手を付けようとします。 いえね、B を疑問視するなとは言わないけど、やりかたが変じゃないかなぁ。
A はいつのまに安全地帯におかれたのかというのも気になる。
唯一ノンフィクションだと言い切れるのは自分の感情やクオリアだけです。
そうだったのか!
「おまえは、もう釣られている!」
ひでぶ!
リンク先記事の議論の進めかたには、拒絶反応に近いものがでちゃうんですが、 「『人間の少女には心がある』のと同じ意味で『二次元のアニメ美少女にも心がある』かもしれないよ」 というタイトルの主張には同意できる。
僕等が、他人の感情を推し量るプロセスと、 二次元のアニメ美少女の感情を推し量るプロセスは同じでしょう。
推し量った本人にとって、どちらの感動がより「真実」かと問われたら…… うーん……おんなじじゃね?
つーことですよね。
他人の感情を推し量ることによって、僕等は感動する。 その感動の質というか、感動をうむプロセス、機構は、両者いずれの場合もいっしょだよ。
へいへい、同意。
そっから先(って何処なんだ)は同意できないなぁ。