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海野秀之(うんのひでゆき)の外部記憶

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2008-07-24 (Thu)

メモ:無限じゃないなら有限とか、

「おれらが有限状態機械だなんて嫌だ!自由意志があるんだもん。なぜなら、あって欲しいからだもん。」って言うんですけど、 だからって量子論に救いを求めるのは筋がわるいと思うんですよね。

クヌース先生がいってたように、有限 vs 無限の二分法に嵌まり過ぎなんじゃないかと思う。 状態数が "スーパー K" のオーダであるような有限状態機械があったとして、 「たかが有限状態機械!」とか言えないでしょう。

え?「真に無限の能力を持つ者から見たら、やはり有限でしょ」だって? そんな凄い人からさえも尊敬されたいの?へー。

人間の脳味噌にある要素の数だけ数えたら、 "スーパー K" よりもずいぶん小さいだろうとは思うけど、 肉体を通じて外界の状態と接していることも考えたら、まあ、有限状態機械の状態数は、 量子論的効果に頼らなくても充分大きいと思います。

加算だったり、有限だったりしたら嫌っすか。

万能チューリングマシンにも解けない問題が解けたいっすか。

ああ、そう。

要するに、その結論は嫌いだから「間違っている」のね。

さらに戯言

検証とかやったことある人なら、おれたちが「たかが有限だよね」とか鼻唄混じりで扱える数は、 有限のなかでも極めて小さい数でしかないことを知ってるよね。

ほとんど至るところ無理数?気にすんなって。

[]「西の魔女が死んだ」の感想

以前、子供をもってから読むのも面白いと思うとだけ書いたんですが、 忘れないうちに、もうちょっと詳しく書いておこう。

子育てをしていて、「子供って難しい」と思った人は、 この本を読んでみたら面白いんじゃないかと思った *1

この本の主人公の女の子は、母親に「難しい子」といわれてしまう、 大人からみると、何を考えているのかとらえ難い感じのする女の子だ。 もちろん、小説は主人公の視線で書かれているので、読者は主人公を「難しい子」 だとは思わないでしょう。

でも、主人公と対面する大人の視点を想像しつつ読んでみると、 言動がなんだか不連続で、 「どうしたの?なんで急に怒ってるの?」と戸惑ってしまわないだろうか。

子供の世界をきちんと追っていくと、たしかに一貫性があって、筋が通っているのに、 大人の世界から見える断片的な情報だけ見ていると、なんだか意味不明だったり……。

それって、こどもが「悪い」わけじゃないよね。

この本を読んで、「ああ、おれって(ある意味で)大人になってしまってたんだな」と、 しみじみ思ったんでした。

*1 「お父さんは『子育て』なんかしてないでしょ!」って声が聞こえた気がする。気のせいでしょうか。

[Web] ぼくは、hashigotan の文章が嫌いじゃないよ

finalvent さんのを見て、 スルーしてたつもりのやつを言及してみる。

ぼくは、hashigotan の文章が嫌いじゃない。 嫌いじゃないんだけど…なにも言えなくなっちゃうんだよなぁ。でも、読む。むしろ好き。

最初は、誰の文章かとか全く意識せずに、 これを見つけた。

ご存じの通り(?)、僕は親バカ一直線を絶賛継続中なので、 この文章を読んだときにはショックだった。 子供を連れて歩くのだって、楽じゃないんだぜ。 連れずに(どっかに置いて?)歩くわけにもいかないんだよー、とか…ねぇ。

でも、「こんな文章書くなよな!」とは思わないですよ。 書いてくれないと、自分と全く異なる感情を抱いている人がこの世にいるんだってことを、 つい忘れてしまう。

むかし、「育児ノイローゼになってしまった人ってのは、もう子供を見るのもつらくて、 子供を彷彿させる小動物(兎とか)を見るのもつらくなってしまうんですよ」 とかいう文章を読んだときに同じようなショックを受けたことを、 思い出した*1

ええ、忘れてたんです。だから、思い出す契機が時々必要なのだと思う。

どっちの感情が正しいかなんて、ないよね。

件の「中出し文書」は、 たまたま見つけただけだったので、そのまま所在も忘れてしまっていたんですが、 その後、はてなブックマーク経由で、 妙にエロい文書を書く人がいるぞと思ってみたら、どうやら同じ人が書いているらしい事を知って驚いたよ。

え?女性だったの?「俺」なのに?

というわけで、RSS リーダに登録して、いつも読んでます。

正直、そーゆーことを面と向かっていわれたらつらいなぁという内容が書かれていることも多い。 でも、彼女(だよね)は、面と向かっては言ってないよね。 あそこは彼女の場所だもん。誰も名指しにはしていないし。 そこにああゆう文書を書いたからといって、非難されるべきだとは思わない。

自分には書けない、書けそうにもない文章だという意味で、僕にとっては価値があります。

んで、「ざまあみろ文書」も、 今日読んだ。なんか、その悪意が、わが子にも向けられているようで、 悲しい気持ちになってしまうのも確か。

でも……何か言い返さないととか、言い返したいとかは思わないんだよなぁ。

価値観の違い?

幸と不幸は非対称?多数派と少数派?

「善悪」だけは最悪だな。

切れ切れの連想をして、また記憶にしまって……えーと、仕事、しごと。

*1 「一文が長すぎます」「ほっとけ!」

[設定など] nicovideo.rb を入れなおしわすれてる。

うお。いつぞや、tDiary 環境を壊しちゃって入れなおした際に、ニコニコ動画プラグインを入れなおすの忘れてたかな。

しまったな。

→もいっかい入れた。


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