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海野秀之(うんのひでゆき)の外部記憶

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2008-03-28 (Fri)

[] ガロワと方程式、線形代数、行列特論

http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/20080327

僕等*1が積読を増やしてしまうのは、 もちろん本人の資質にもよると思うけど、日本の(海外がどうだかは知らないんだけど) 出版社が、あまりにも簡単に本を絶版にしてしまうからなんじゃないかと思う。

あとで、「今なら読める」と思えるときが来たら*2 買おうとか思っていると、買えなくなってしまうからだ。

海外はどうだか知らないんだけどと書いたけど、英語で書かれた本は、 かなり古い本でも入手可能なことが多いようにも思うので、 やはり日本の出版の特徴なんではないかと思う。

とはいっても、様々なことがらを母国語で勉強できるという環境は、 非英語圏にあってはとても珍しいことらしいので、感謝こそすれ、 怨み言など言うべきではないのかもしれない。

結局、なにがいいたかったのかというと、小島さんの紹介された本を、 みーんな買っておかねばならんような気がするけど、 読めてない本を既にいくつも抱えているじゃないかということです。

*1 勝手に括る

*2 そんな「時」は来ないという問題も別にある。

句読点

句読点をどこに打つべきかというのを、体系的に学んだことがない。 僕に限らず、こういう人は珍しくないのではないかと思う。 つまり、どこに打つべきかというのは定まっていないんじゃないかと思っている。

僕は、ここに文章を書くときには、句読点はおろか、 文章の切れ目なんかもてきとーに書いている。 きちんと書こうとしても書けない、僕のような者が、 そんないい加減なことをしてはいけないかなとも思うんだけど。

英語の句読法の原則を借りてくるのは、悪くない考え方だと思うが、 それで十分とはいかない。 別に、「日本語なのに英語のやりかたを流用するなんてけしからん」 なんてことを言う必要は全くない。 そんなことを抜きにしても、実用的に、それだけでは不足している。

英語にあって、日本語の文章表記にないのが、空白による単語の分離だ。 英語の句読法をそのままあてはめようとすると、この違いに出くわしてしまうように感じる。 英語ならスペースで分離されるために、語の切れ目に迷うことはないような箇所で、 日本語では切れ目が不明瞭になる場合がある。そこに読点を打ちたくなってしまうのだ。 そうすると、英語の句読法を流用する立場からは、 とても変なところに読点を打つことになってしまう。

漢字を多めに使うと、このような読点を打ちたくなるケースを少なくすることができる。 「にわにはにわにわとりがいます」ではわかりにくくても、 「庭には二羽鶏がいます」なら大丈夫というやつである。 もし漢字の使用を減らしたら、代わりに使えるものは、今のところ読点しかない。

つまり、漢字の使用を減らすと、 句読法に関して英語からの流用だけでは不足してしまうケースが増えるということだと思う。

まあ、ある程度フォーマルな文章では、漢字の使用を増やせばいいだけなので、 漢字を増やして、余分な読点を回避すればいい話のように思える。

しかし、本当にフォーマルな文章だと、使える漢字が限定されていたりする。 「拉致」を「ら致」と書かなければならないのでは、 漢字によって単語の切れ目を明確にするという戦略は無効だと考えるしかない。

じゃ、どうしろというのか? これといった指針は存在しないんじゃないかと思う。

ところで、上に書いたようなことは、内容的に、 いま僕がここに書く価値があるようなことじゃないんだよなぁ。 もし、文書としての価値を高めたいなら、 きちんとした人が書いたものを探してきてポイントした方がよっぽど良い。

じゃ、なんで書いたかというと、近頃、 自分が打っている読点に関する罪悪感が無視できない程度に高まってきたからだ。 そこで、なんか言い訳してみたくなった。

もう一つは、ここは自分の場所だから、何か書こうが勝手でしょ的なもの。 言い訳ついでに、もう少しきちんと文章書いてみたらどうなるだろうかという練習。

いや、やっぱり句読点はむずかしい。むずかしすぎ。

文章を生業にしている人は、漢字の使用と句読点の打ち方を含む、 自分なりのルールを持っているんだろうなぁ、きっと。

いくつかメモ

英語の句読法的な読点の打ち方と、 英語に無い理由で切れ目を明示したい場合の打ち方とを混在する場合に困るのが、 両者の衝突じゃないかと思っている。

後者の読点は、音読するならここで「おやすみ」するなぁと思われるところに打つ。

たとえば、「『かくかくしかじか』と彼は言った」の「かくかくしかじか」がとても長いケース。 僕は口に出していうなら

『かくかくしかじか』…と彼は言った

のように、「と」の直前にひと呼吸いれる。それならばといって、

かくかくしかじか、と彼は言った

と書くととっても変なのだが、ついやってしまう。

これはつまり、「音読を想定して、ひと呼吸いれたい箇所に打て」という指針が十分でないことを 示しているんじゃないか。 しかしながら、これ以外のアドバイスを聞いたことがない。

かくかくしかじかと、彼は言った

の方が書き言葉として正しいように感じるんだけど、ああ、 別にこれは英語流というわけでもなさそうだなぁ。

もしかして、音読するときにも、こっちで切れという話?あはー、そうなの?

ああ、単に「言文は一致しない」と思えってことか。

あとで読む

文化庁にある方なんだけど、案外意欲的で面白いと思った。 「、」と「。」以外に白点なるものを提案してあったり。

いまでも別に反省していない

http://ja.reddit.com/r/ja/info/6dnyd/comments/

書いている本人(僕)は、ただ単に英作文の練習くらいにしか思っていないことを、 ここに白状しておく。

それほどの気軽さでコメントするには、重すぎる話題のような気はしている。


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