海野秀之(うんのひでゆき)の外部記憶
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日本語で上手な文章を書くには:10の「べからず」 (Playnote ニュースクリップ 経由)
まったくその通りすぎて、面白くて、かつ、笑えないのですが。
思い返せば、少なくとも僕が受けた学校教育では、 上で述べられているようなユダヤ人もびっくりな文章が よいのだということすら、明には述べられなかった。 教授法さえも、暗示的。なにがしたいんじゃ。 (国語の先生の口癖は、「すべては読書量できまる」でした。)
文章の書き方について、はじめておそわった記憶は、 高校時代に通った予備校の英文読解の授業だったと思う。 外国人として英文を読むには、自然にまかせるのではなく、 使えるメタ情報は総動員すべきで、そのひとつとして、 文章がどのような構造でかかれることが多いかということを 教えてくれた。 なるほど、教材として選ばれている文章はそのように書かれている。
なんで、本来国語でならうべきと思われる、文章の構成方法を 英語の授業で習わなあかんのかと思ったことです。
そういえば、この日記には、 どこを探しても主張や結論のようなものが明示されていませんが、 これも英語圏な人からみるとミステリアスなんかなぁ。
ところで、リンク先の「10の『べからず』」がネタなんじゃないか という思いは捨て切れない。出来すぎてる。
というわけで、結論から言おう。 忍術は実在した、いや、すると思うんです。
あー、待って!帰らないで、お願い。
みなさん、「ゾーン」という言葉をご存知でしょうか。 ゾーンというのは、人が、ある事柄に没頭して非常に能率よく仕事をこなしている、 集中力の高い状態のことを指す言葉です。 とてもパフォーマンスの高い人というのは、 実は、自由にゾーンに入ることができる人なのかも知れません。
でね、ステレオタイプ的忍者のひとって、 ある術を行使するときには、印(イン)を結んで、 さらに何かこしょこしょと呪文を唱えるでしょう? あれは、日頃の鍛錬の成果を、いまこの瞬間に 100% 炸裂させるための、精神集中のための儀式なのではないか?
私も、さすがに、呪文ひとつでつむじ風を起こしてしまうような 「忍法・木の葉隠れ」とかをそのまま信じる気にはなれませんが、 自己ベストの跳躍でなければ飛び越えられない壁を、とっさの精神集中の術でもって ここぞと自己ベストを叩き出して飛び越える、 こんなことをいつも成功させられる人がいたら、 やっぱり常人離れしたすごい人ということになると思うんです。 忍者だ、忍者。
そういえば、そんな感じのひとをテレビで見たことがある。 なんというか、イタいめのコラムにとりあげられがちな人を登場させるのは 気が引けますが、あのイチロー選手です。野球選手の。
彼は、バッターボックスにはいり、まずあの有名な動作をしますね。 バットを「予告ホームラン」にはちょっと低いな、あ、あれですか、 「予告ピッチャー返し」的に振り上げ、袖をちょっと引っ張る。あの動作です。 あの動作が、バットでボールを打ち返すという作業に本質的に必要な 予備動作なわけがありませんから、あれは、 彼の精神集中のための儀式だと考えるのが妥当でしょう。 つまり、忍者が印を結んで呪文を唱えるのに相当するのが、あの作業なわけです。 (と、思います。) きっと、あの動作の直前までは、むしろリラックスするようにしていて、 あの動作の直後は、 我々素人にはちょっと無理なくらい集中されているのではないでしょうか。 まさに、「ゾーン」状態。
これに似たようなのは、実は、僕らだってやってたりします。
僕は、浪人生時代、大阪の中ノ島図書館で勉強しました。 若くて重要な時期を過ごしたこの図書館については、 いくらでも語れそうな気もしますが、とにかく西洋かぶれ丸出しに美しく、 奇妙で古い建物の図書館だと理解していただれば、ここでは十分です。
僕はこの図書館に篭って勉強したわけですが、 うーんと集中して勉強し、「あー、しんど(疲れた)」と思ったら建物の外へ出て 新鮮な空気を吸う。
つまり、あの見た目の不思議な図書館という空間が、僕にとってはそのまま 「ゾーン」のメタファになっていたわけです。 いい具合に異世界感をただよわせる素敵な空間だったので、 ゾーンのメタファとしては申し分がなかったと思います。
でも、いわば、これは初級忍術といわねばなりますまい。 熟練した者であれば、そのような大掛かりな舞台装置を用いずとも、 自由に術を行使できるべきなのありましょう。
実際、我々のようなデスクワーカー系理系サラリーマンにとって、 ゾーンに没入するのは非常に重要なことなのですが、 これが容易なことではありません。
自分の占有できるスペースは限られており、 周囲の人々と自分を隔離するものはなく、いつ話しかけられても、 いつ電話がなっても、いつメールがきてもおかしくない環境です。
いや、話しかけられるのも、電話がかかってくるのも、メールを読むのも 全然嫌いじゃないし、歓迎なんですが、だからこそ、 ゾーン状態を維持するのは大変むずかしくなってしまいます。
つまり、舞台装置的には「ここはゾーン内だよ」という暗示の効かない場所 で集中力を高めなければならないわけです。 となれば、ここは、忍者の印と呪文に相当するギミックを発明するのが よろしかろう。
紙と鉛筆系頭脳労働者ならば、「ノートを開き、鉛筆を持つ」を入る動作、 「ノートを閉じ、鉛筆を置く」を出る動作にしてもいいかも知れない。
重要なのは、入ってから出るまでの「ゾーン内」では、 可能な限り集中することだと思います。 そのためには、入る動作は十分暗示的である必要があると思われるのと同時に、 出る動作が必須で、かつ、瞬時に行えるものでなければならない。
あー、集中力が切れる!というときには、速やかにゾーンから退出して、 決してゾーン内では粗相をしない。きっと、これが大切。 そして、なるべくゾーン内にながく居られるように訓練していけばいいのでは ないでしょうか。
そこで、ちょっと思いつきました。 いま、僕は、会社ではPCを端末として仕事をしています。 ちょっと後先になりますが、スクリーンロックをかける動作を 「出る」動作として採用するのが良いかも。 会社でいま使っているのは Windows 2000 で、CTRL+ALT+DEL, Return で ロックがかかりますので、瞬時に出られるべしという要件は満たしています。
電話がかかってきたとき、ひとに話しかけられたとき、はたまた、 「あー、集中力がきれる」というときには、そのままにしないで、「出る。」 ゾーン内で決して粗相をしないためです。
で、入るときには、スクリーンロックを解除して「入る。」 ここではパスフレーズを求められるので、 「入る」メタファとしての機能を任せられそうです。 できれば、単なる暗証番号的なパスフレーズではなく、 思わずゾーンという亜空間に招待されそうな魔法の呪文を用意した方がいいかも しれません。呪文か。どんなのにしようかなぁ。
出る動作が瞬時に達成可能でなければならないのに対して、 入る動作は多少面倒でもいいのです。 むしろ、チャクラを練るくらいもったいぶったほうが効果がありそう。
でもなぁ、これだとメール読んだり、 ぶらぶら web ブラウズしたりできなくなるんだよなぁ。 どちらもゾーン内では「粗相」にあたる行為なので、隔離したいところ。
そういや、もうすぐ端末が linux に変わるらしいぞ。
PCに触っている間はゾーン内、 PCから手を離しているときにはゾーン外という具合に分離できれば、 話は単純になるのですが、現実にはそうならない場合が多いと思います。
必須だとはいってもメールの読み書きはゾーン内でやるようなことではないし、 建前上はどうだか知りませんが、 Web ブラウザでぶらぶらいいかげんな散策をしてしまうこともある。
これは、仮想画面を複数持つウインドウ・マネージャーを使えば、 うまく分離できそう。
ゾーン内に相当する仮想画面には、 没頭したい作業に必要なアプリケーションのみを配置。 それ以外のアプリは、ゾーン外の仮想画面におく。
仮想画面ごとにテーマ(見た目の雰囲気)を変える機能ならもとからあるだろうから、 それも有効利用しよう。
あとは、入退出のギミックだなぁ。 ただ画面を切り替えるだけじゃなくて、瞬時に出られて、 入るのに儀式(パスフレーズ入力でいいと思うけど)が求められるような。
ひげぽん氏の firefox の「集中」モード のような機能は、 僕も前々からほしいと思っていました。 集中したいときには不要な機能をどっかにやりたい。 これと似たような要望だと思います。
ただし、やはり、ゾーンから出るときに長いパスワードを求める (これはペナルティ的意味合いだと思う)よりも、 入るときに儀式をやるほうがいいとおもう。
さらに、firefox 単独でモードを切り替えるのではなくて、 画面ごと亜空間へ……。