海野秀之(うんのひでゆき)の外部記憶
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http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/0925/high43.htm (ひげぽん氏 経由)
ちょっと Squeak に興味がわいた。 だけど、実際に触ってみるかは微妙。
しかも彼らはコンピュータ分野の専門家だ。 もし物理学の専門家が、マクスウェルやアインシュタインの 業績を知らなければ、学会追放ものだ。 しかしコンピューティングではエンゲルバートの業績を知らなくても 関係ない。なぜならこれがポップカルチャーだからだ。 パンクロッカーがバッハの功績を知らないようなものだ。 ポップカルチャーはバッハにまるで興味を持たない。 ポップカルチャーではアイデンティティと参加こそが重要だから。
半分くらいしか同意できないのだが、 それは、僕がエンゲルバートの名を知らなかったせいかも知れない。 *1 (または、僕が「コンピューティング」という単語が何を指す のかについて誤解している)
たしかに、コンピュータの世界では車輪の再発明ばかり繰り返されて いて、進歩が妨げられているのは確かだと思う。 悪いことに特許なんてもののせいで、再発明が余儀なくなっている 場合すらありますね。
過去1世紀の電子技術のほとんどは退行的だ。 というのは電子技術の多くは書くことより オーラルコミュニケーションを奨励するからだ。 昔、人々に読み書きを強いた多くのものは今は存在しない。 楽しみのために読まなければ、 恐らく必要になったときには読む鍛錬が足りていないだろう。 書くこともどんどん不要になっている。 将来はもっと、コンピュータが、 “学ばないこと”の言い訳になるかもしれない。 米国の多くの学校は、子供がGoogleで何かを見つけコピーすると、 それで学んでいると思っている。 しかし私は、子供がそれについての作文を書かない限り 学んだことにならないと主張している。 作文は思考を組織化する。 単に博物館の展示物を集めるだけではない。 しかしほとんどの学校はその違いを分からない。
だから、理想的未来は人々が今日よりも、 よりよく考える未来だが、ありそうな未来は、 人々がよりよく考えないでしかもそれに気付かない未来かもしれない。
たしかに恐ろしい。
新人のころ、あるテーマについて調査し、 調査結果をまとめた資料を作成するという課題を与えられたことがある。 同期のヤツが、資料中の単語がおかしいことを指摘されたときに、 こう言ってのけやがった。 「これは Web で探してきたものをコピペしただけだから、 間違っていないはずです。」
ともかく、既にアラン・ケイ氏に見放された大人ですが、 まずは、大人がかわらなくちゃ、ってことで。
*1 そんな僕でも、フォン・ノイマンやチューリングをしらなかったらまずいと思うけど。
IA64 に触れる機会はないんじゃないかと思っているのですが、 折角なので読んでみました。
http://developer.intel.com/design/itanium/downloads/251429.htm
ざっと読んだだけですが、 SPARC-V9 を知っている人なら以下の説明でほぼ把握できるのではないかと思った。
RMO と TSO の折衷案として、とてもよく出来ているように思う。