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海野秀之(うんのひでゆき)の外部記憶

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2007-11-28 (Wed)

認める(承認する?)仕組みと学習

どっかで「どうすれば一からプログラムが書けるようになるんでしょうか?」みたいな 話を読んだがために出てきたことを垂れ流してみる。

わたしなりの結論のようなものを、ひとくちでいうと「べつに正解なんてないんだ」と 納得するのが鍵なんですが、結論を言うのが目的ではないので、えーと、 関係あるような無いような話を。

むかし、勉強がきらいなつもりはなかったんだけど、 勉強しない高校生だったころ、そろそろやばいかもーとか思って勉強みたいなことを し始めるわけです。

えー、で、勉強の仕方とか自分なりに工夫して、とにかく勉強するようにすると、 テストの成績が良くなるわけです。

いま思うと、いろいろ勉強の仕方を工夫したってとこが本当の秘訣なんかではなく、 「正しい答えを書けるようになると成績がアップ」という承認機構が存在したというのが 重要だったんだと思います。 いろいろ工夫したつもりの勉強方法が、本当に効果的だったかなんて、怪しいもんです。 っていうか、勉強方法が「本当に効果的」かどうかなんて、重要じゃないんでしょう、きっと。

重要なのは、承認機構が学習者からみて妥当かどうかだと思う。 出題が適切か。採点基準が適切か。

たとえば、僕にとっては、人の名前とか年号を答えさせるような試験が妥当だとは 思えなかったけど、理科系科目の試験には納得していた。

で、えー、プログラミングについてなんですが、 ふつー、プログラムが「正しく」書かれていたら、きちんと動いてくれます。 (ここは、ぜひ、検証とか、証明とか、難しい話は抜きの方向で。)

出題者は、多くの場合自分自身でしょう:「こんなプログラムを書きたい。」 問題を解くのも自分。「正しい」方法かどうかはわからないけど、 こう書けばいいような気がするなー (There are more than one way to do it っていうし) とかいって。 承認機構は、目の前の計算機です。

ありがたいことに、計算機は、承認機構としての「フェアさ」においては、 ずば抜けて優れています。僕にとって、数学の試験の方が社会科や国語の試験よりも 妥当に思えたのと同じく、計算機が下す「判定」は納得のいくものです。

だから、ですね、プログラムが書けるようになるには、 「ただしい」方法を調べたりするより、書いてみればいいんだよ、心配しなくても 目の前の計算機が公正な判定をしてくれます……

……ということが言いたかったわけでは、なかったりして。

僕も、いまや二児の父だったりするので、自分の子供たちがすくすくと育ってほしいとか 願っていたりするわけです。健康に育ってくれれば十分という気持ちに偽りはないんですが、 できれば僕なんかよりも「賢く」なってほしい。

そのためには、学習機会をきちんと提供する必要があるのかな〜とか思っていたのですが、 提供すべきは、妥当な承認機構なのかもしれない。

子供が小さいうちは、親自身が、子供を認めてあげる役です。 教育が進むにつれて、教育主体、承認機構は学校に求められるようになっていきます。 あ、高校時代は全国模試みたいなのも承認機構として機能してたかなぁ *1

まあ、結局、子供はちゃんと褒めてあげなくては、みたいな。 僕に出来ることなんて、そんなもんかも知れない *2

*1 あ、もういっこ思いついた。身の回りの同世代の異性が、賢い人が嫌い or 賢い人が好きのどっちなのかというのも重要かも……知れない。知らんけど。

*2 子供をどういうふうに叱ればいいのか悩むことが(主観的には)多いのですが……。

[] 「コンピュータ科学者がめったに語らないこと」が面白い件について

最近、ベッドの近くになにか本を置いている。 で、いま置いているのが 「コンピュータ科学者がめったに語らないこと」 だ。

記録によると、この本を買ったのは 2004 年 11 月 13 日 (土) のことだったらしい。 神保町にでかけていって、以下の本を買ったと。

  1. 「オブジェクト指向スクリプト言語 Ruby (Ruby 本)」
  2. 「ハッカーのよろこび (Hacker's delight)」
  3. 「コンピュータ科学者がめったに語らないこと」 (D. E. Knuth)
  4. The revised english bible

へー、Ruby に触りはじめたのが、そのころだったのか。

そのメモによると、Matz さんが面白いと書いてたのを読んで 「コンピュータ科学者がめったに語らないこと」に興味を持ったんだとか。

最後の聖書は、「コンピュータ科学者がめったに語らないこと」の副読本というか、 参考資料として買った。

んで、数年まえにこの本を読んだときの感想は、「ああ、クヌースという人は、 根っからの、正真正銘のタイポグラフ・フェチなんだなぁ *1 」という程度のものだったんだが、 数年ぶりに読むと、これがなんと、面白いのである。

なんというか、こちゃこちゃと話が脇道にそれる(というか、本筋が何なのか??)んだが、 どの脇道も面白そう。

本の内容が変化したわけではなくて、読み手の僕が変化したことで、面白そうなことが 書かれていたことに気づくという……。

とりあえず、やっぱりすげー。

そうだ、The planet without laughter を読もうと思ったんだった

http://www-cs-faculty.stanford.edu/~knuth/smullyan.html

*1 たとえば http://www-cs-faculty.stanford.edu/~knuth/john316.pdf とか。もし、天国に優れた計算機があったら、やっぱり計算論の研究とフォントのデザインにいそしむそうです。


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